年末に出る雑誌のための原稿。末尾に「佳い御年を」と添える。(哲




2014ソスN10ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 23102014

 二階へと上がってからの夜長かな

                           小西昭夫

っきり夜が長くなった。夕食もすんで二階へ上がる。今まで自分もいたリビングのテレビの音や家族の声が少し場所を離れることでよその家のように聞こえる。網戸を透かして外から部屋を見たり、ビルの屋上から自分の家の屋根を眺めたりするのと似た心持ちだ。平屋ではなく上がり下がりする階段がその距離感を生むのだろう。夏だと明るい時刻なのに夜の帳は降りてきて、ひとりの時間はたっぷりある。本を手に取ったり書きものをしたり、家族から離れて自分だけの固有の時間が始まる。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)


October 22102014

 河添の夜寒かなしき洲崎かな

                           芝木好子

崎は現在の江東区東陽町にあたる。昭和33年3月31日まで、吉原とならんで赤線の灯がともっていた。それを描いた川島雄三の傑作映画「洲崎パラダイス赤信号」(1956)が忘れられない。新珠三千代主演で、なぜか河津清三郎と轟夕起子も忘れがたい。その原作こそ芝木好子の小説「洲崎パラダイス」だった。現在の東陽町にはマンション群が建ちならんで、あのパラダイスの面影はなく、「夜寒」もすっかり様変わりした。この「河」は隅田川だと思う。(小名木川ではあるまい。)浅草で育った好子には、もともと一帯の土地勘があり、「洲崎パラダイス」を書くにあたって取材もしただろうから、赤線の街の夜寒は敏感に感じていただろう。河添の街の夜寒は格別かなしいだろうし、夜ごとの灯りも女も、やってくる男たちもかなしい。こういうかなしい街がなくなりつつあるのは結構だが、「女性が輝く職場」を標榜して、内閣の認証式で女性閣僚を周囲に侍らせてにっこりしていた総理大臣に、あきれて二の句がつけなかったのは、私だけだろうか。久保田万太郎に「吉原の菊のうはさも夜寒かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 21102014

 月の夜のワインボトルの底に山

                           樅山木綿太

がワインを手にしたのは古代メソポタミア文明までさかのぼる。醸造は陶器や革袋の時代を経て、木製の樽が登場し、コルク栓の誕生とともにワインボトルが普及した。瓶底のデザインは、長い歴史のなかで熟成中に溶けきらなくなったタンニンや色素の成分などの澱(おり)を沈殿させ、グラスに注ぐ際に舞い上がりにくくするために考案されたものだ。便宜上のかたちとは分かっても、ワインの底にひとつの山を発見したことによって、それはまるで美酒の神が宿る祠のようにも見えてくる。ワインの海のなかにそびえる山は、月に照らされ、しずかに時を待っている。〈竜胆に成層圏の色やどる〉〈父と子の落葉けちらす遊びかな〉『宙空』(2014)所収。(土肥あき子)




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