昨日は初冬を思わせる寒さ。今日は気温が上昇との予報。(哲




2014ソスN10ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 16102014

 焼藷を二つに割つてひとりきり

                           西野文代

の頃は温暖化防止のためビルの屋上にサツマイモを植える企業を増えているという。雨風や日照りなどの厳しい環境にも強く葉を茂らせ、何より収穫の喜びがあるから人気なのだろう。何といってもサツマイモがおいしいのは今頃の季節。ピーと煙突を鳴らして屋台を引きながら焼き芋屋がやってくる。アツアツの焼き芋を新聞紙にくるんでもらう。家で作るふかし芋とは焦げ目のついた皮のぱりぱり感、割った時のしっとりホカホカ具合が全然違う。さて掲句では二つに割って湯気のたっている片方を「はいっ」と渡す相手もいない。こんな時一人で暮らす味気なさがつくづく感じられるものだ。アツアツの焼き芋だからこそ「二つ」と「ひとりきり」の対比に分け合う相手のいない寂しさを感じさせる。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


October 15102014

 黄金の木の実落つる坂の宿

                           西脇順三郎

の西脇順三郎も数は少ないけれど、萩原朔太郎、室生犀星らと俳句を作った時期があった。「黄金の木の実」とはドングリかギンナンの実のことだろうか。「黄金」という表現はいかにも西脇的だ。「超自然主義」の西脇も、この句では自然主義的な耳と感性を発揮している。しかし木の実が落ちる音に、常人には及びもつかない“音”をおそらく聞いていたにちがいない。『旅人かへらず』の詩人は、ある秋の日の旅宿での憶い出を詠んでいるのかもしれない。しかも「坂」だから、木の実は落ちてころころ転がったのだろう。坂道の様子は? そこまで想像力をかきたててくれる。新倉俊一はこの句を引用して、次のように記述している。「昭和十年末から彼は百田(註:宗治)に誘われて、大森の俳人・西村月杖の主宰する月例句会に、萩原や室生らと共に参加して、月交代で選者をつとめた」。選者をつとめたというから並ではない。翌年、彼らの「句帖」が創刊された。西脇には、掲出句の他に「木の実とぶ我がふるさとの夕べかな」がある。ふるさと小千谷を想う素直な俳句だ。今年は生誕120年にあたる。新倉俊一『評伝 西脇順三郎』(2004)所載。(八木忠栄)


October 14102014

 小鳥来るひとさじからの離乳食

                           鶴岡加苗

間暇かけて作った離乳食がまったく無駄になってしまったという嘆きは多い。ミルクだけを飲んできた小さな口には、味覚以前にスプーンの材質まで気にさわるものらしい。いかに気に入らなくても、言葉にできぬもどかしさに身をよじる赤ちゃんサイドと、せっかくの力作を無駄にしたくない母心が入り乱れ、ときには絶望に声を荒げてしまうこともあるだろう。しかし、その小さな口がひとさじを受け入れてくれてたとき、母の苦労はむくわれる。今日のひと口が明日のふた口に続くかどうかは赤ちゃん次第。乳児から幼児へと変身する時間はゆっくりと流れる。小さな翼を揃えて渡ってくる鳥たちを思いながら、母は子へひとさじずつスプーンを運ぶ。母と子の蜜月の日々がおだやかに過ぎてゆく。〈さへづりや寝かせて量る赤ん坊〉〈子育ての一日長し天の川〉『青鳥』(2014)所収。(土肥あき子)




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