昨日は雨と風、水浸しの映像ばかり。被害が出ませんように。(哲




2014ソスN10ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 14102014

 小鳥来るひとさじからの離乳食

                           鶴岡加苗

間暇かけて作った離乳食がまったく無駄になってしまったという嘆きは多い。ミルクだけを飲んできた小さな口には、味覚以前にスプーンの材質まで気にさわるものらしい。いかに気に入らなくても、言葉にできぬもどかしさに身をよじる赤ちゃんサイドと、せっかくの力作を無駄にしたくない母心が入り乱れ、ときには絶望に声を荒げてしまうこともあるだろう。しかし、その小さな口がひとさじを受け入れてくれてたとき、母の苦労はむくわれる。今日のひと口が明日のふた口に続くかどうかは赤ちゃん次第。乳児から幼児へと変身する時間はゆっくりと流れる。小さな翼を揃えて渡ってくる鳥たちを思いながら、母は子へひとさじずつスプーンを運ぶ。母と子の蜜月の日々がおだやかに過ぎてゆく。〈さへづりや寝かせて量る赤ん坊〉〈子育ての一日長し天の川〉『青鳥』(2014)所収。(土肥あき子)


October 13102014

 夜汽車明け稲の穂近し吾子近し

                           大串 章

ぼ半世紀前の句。初産の妻を故郷の実家に帰していたところ、無事に吾子誕生の知らせが入り、作者は急遽夜行で故郷に向かった。夜汽車に揺られながらの帰郷。当時はごく普通の「旅」であった。が、いつもとは違い、そう簡単には寝つけない。もんもんとするわけではないのだが、初めての子供の誕生に気が昂ぶっているせいである。父親になったことのある人ならば、この気持ちをつい昨日のことのように思いだすことができるだろう。久しぶりにこの句を読んで、私も往時の興奮した気分を思いだした。そして、ようやくうつらうつらとしはじめた目に、夜明けの故郷、まぎれもない故郷の田園風景が目に染み入ってきて、「いよいよだな」とまだ見ぬ吾子が具体的に近づいてきたことを知らされる。変な言い方だが、ある種の「覚悟」が決まるのである。そんな初々しい感慨が詰まった句だ。もう一句。「妻より受く吾子は毛布の重さのみ」。人生、夢の如し…か。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


October 12102014

 天道虫小さし秋空背負ひ来て

                           細谷喨々

かにおっしゃる通りです。天道虫は小さい。漢字を当てると大きななりに見えるけれど、実際は小指の爪よりも小さい。掲句は五七五で読むよりも、「小さし」で切った方がよさそうです。ところで、天道虫は小さいという当たり前の事実に驚きながらそれを受け入れられるのは、背負っている秋空が天高く広大だからでしょう。空は青いゆえ、天道虫の朱色はくっきりとした輪郭を見せて存在を示します。生きているということは、大きい小さいではないな。むしろ、何を背負っているかではない かな。天道虫という名を背負い、秋空という実を背負っている天道虫の存在は、確かです。喨々さん。勇気をいただきました。ありがとうございます。句集では、「対峙してかぶきあひたる蜻蛉かな」が続き、こちらは歌舞伎役者が睨み合っているような蜻蛉です。「成田屋!」。これも、昆虫写真家のような構図のとり方が巧みで、ピントがバッチリ絞れています。『二日』(2007)所収。(小笠原高志)




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