強力な台風18号が接近中。用心用心。ヨウジンにシクハナシ。(哲




2014ソスN10ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 04102014

 ひらがなの名のひととゆく花野かな

                           松本てふこ

野は、華やかだけれどもどこか淋しい、というイメージをまといながら概ねさりげなく詠まれる。そして、読み手それぞれの花野はまちまちでも、はなの、というやわらかい音と共に広がる風景に大差はなく、ああそういう感じだな、と共感を生む。だが、掲出句は少し違っている。そういう感じだな、と客観的に鑑賞するような感覚ではなく、すぐに花野の中を歩いているような心地がするのだ。ひらがなの名のひととゆく、という一つの発見は、花野の風の感触と匂い、明るさとひとことでは言いようのない光の色、それらをごく自然に浮かび上がらせ、読み手は秋に包まれる。「俳コレ」(2011・邑書林)所載。(今井肖子)


October 03102014

 鵙遠音魚板打ちても応答なし

                           景山筍吉

の甲高い鳴き声は遠くまで届く。澄んだ秋の空気の中訪れた禅寺には人気が無い。どこか奥まった所でお勤めをしているのかも知れない。柱を見ると魚板と小槌がぶら下がっている。これが呼び鈴代わりかと早速叩いてみる。手応えのある音の割には中からの応答(いらへ)が無い。どこか心細くなる。寺へ悩み事の相談に訪ねたのであれば尚更のこと。因みに景山筍吉が敬虔なクリスチャンであった事を思うと、問うて答えのない不安な心を見てしまうのである。神仏に声は無い。他に<繰り返へす凡愚の日々の蚊遣かな><友情の嘘美しき月の道><キリシタン処刑跡なり蛇の衣>など。『白鷺』(1979)所収。(藤嶋 務)


October 02102014

 台風のたたたと来ればよいものを

                           大角真代

平洋上に台風が発生したようで今後の進路が気になる。秋に来る台風は夏の台風と違い偏西風の影響で足早に過ぎ去るという。来てほしくはないのだけど、飛行機で遠方に出かける予定があるときなど気が揉める。台風の進路にあたるときは、ベランダに並べた植木鉢を片付けたり、壊れそうな箇所を補強したりとやっておかなければならない作業も多い。台風による甚大な被害を思えば、どこにも上陸しないで通り過ぎてくれることが一番なのだけど、避けられないなら「たたた」と来て「たたた」と去ってほしいと、天気図を眺めながら思っているのだろう。『手紙』(2009)所収。(三宅やよい)




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