都民の日。都立校は休みになるんだつっけ。忘れちゃった。(哲




2014ソスN10ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 01102014

 里芋の煮つころがしは箸で刺す

                           大崎紀夫

たちがふだん「里芋」と呼んでいる芋にも種類があって、ツルノコイモとかハタケイモをはじめ、品種が多いようだ。山形県ではじまった、この時季の「芋煮会」なるものはどこでも行われるようになってきた。里芋にはいろいろなレシピがあるわけだが、素朴な「煮っころがし」が最もポピュラーで、好まれていると言っていい。丸くてぬめりがあるから、お行儀よく箸でつまむよりは、手っとり早く箸で刺したほうが確実にとらえて口に運べる。掲出句はお行儀よく構えることをせず、そのことを詠んだもの。「本膳」という落語がある。庄屋に招かれた村人たちが、あらかじめ手習いの師匠から「本膳での食べ方は私の真似をするように」と教わって出かける。席で師匠が里芋の煮っころがしをうっかりとりそこなって転がすと、村人がいっせいに箸で里芋をつついてそれを転がすという、にぎやかなお笑いの場面がある。ついでに、落語家の間では「ライスカレーは匙で食う」という、当たり前すぎて笑える言い方がある。釣師でもある紀夫には「ぎぎ釣るやぎぎぎぐぎぐぎぐうと泣く」という妙句がある。『俵ぐみ』(2014)所収。(八木忠栄)


September 3092014

 間取図のコピーのコピー小鳥来る

                           岡田由季

越先の部屋の間取りを見ながら、新しい生活をあれこれと想像するのは楽しいものだ。しかし、作者の手元にあるのはコピーをコピーしたらしきもの。その部分的にかすれた線や、読みにくい書き込みは、真新しい生活にふさわしくない。しかし、作者は大空を繰り返し渡ってくる小鳥の姿を取り合わせることで、そこに繰り返された時間を愛おしむ気持ちを込めた。引越しによって、なにもかもすべてがリセットされるわけではない現実もじゅうぶん理解しつつ、それでもなお新しい明日に希望を抱く作者の姿が現れる。図面といえば、以前は図面コピーの多くは青焼きだった時代があった。青空を広げたような紙のしっとりと湿り気をおびた感触と、現像液のすっぱい匂いをなつかしく思い出している。〈箒木の好きな大きさまで育つ〉〈クリスマスケーキの上が混雑す〉『犬の眉』(2014)所収。(土肥あき子)


September 2992014

 人知れず秋めくものに切手帳

                           西原天気

の回転のはやい人なら、「秋」を「飽き」にかけて読んでしまうかもしれない。それでも誤読とまでは言えないが、なんだか味気ない読みになってしまう。どこにも「飽き」なんて書いてない。「秋」はあくまでも「秋」である。中学時代、私もいっぱしの(つもり)の切手コレクターであった。半世紀以上経たいまでも、切手専用のピンセットのことや貼り付けるためのヒンジ、ストックブック(切手帳)ならドイツ・ライトハウス社製の重厚な感触など、いろいろと思い出すことができる。なけなしの小遣いをはたいて切手の通信販売につぎ込み、カタログを睨んで一点ずつ集めていたころが懐かしい。そうした熱気の頃を夏とすれば、やがて訪れてくるのは「秋」である。この時季にさしかかると、さながら充実した木の実が木を離れてゆくように、切手への興味が薄れていく。飽きるからではなく、実りが過剰になるからなのだ。つまり「人知れず秋めく」わけだが、この感覚はコレクターを体験しないとわからないかもしれないな。「はがきハイク」(第10号・2014年9月)所載。(清水哲男)




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