秋本番。今日は日本中どこに出かけても良い天気。(哲




2014ソスN9ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2792014

 豊年の畦といふ畦隠れけり

                           若井新一

米が味わえるうれしい季節、電車で少し遠出をすればまさに黄金色の稲田が車窓のそこここに広がっている。農業技術が進歩し、全てお天道様頼みだった昔と違い豊年と凶年の差はさほどなくなっているかもしれないが、食べる一方で米作りの苦労を知らない身でも、豊年、豊の秋、という言葉には喜びを感じる。この句の作者は新潟生まれ、句集『雪形』(2014)のあとがきには「日本でも屈指の豪雪地帯で、魚沼コシヒカリを作っている」とある。<畦々の立ち上がりたる雪解かな ><土の色出で尽したる代田掻 ><霊峰や十指せはしき田草取 ><かなたまで茎まつすぐに稲の花 >。日々の実感から生まれる確かな句。ことに掲出句の視線の高さは、大地に立ち一面に実った稲田を見渡している者ならでは、見えない畦を詠むことで一面の稲穂が見える。早春、雪が解けてやっと立ち上がった畦が見えなくなるほどの今の実りを前にしている感慨、ここには豊年の言葉が生きている。(今井肖子)


September 2692014

 雁や農夫短き畝立てて

                           坂石佳音

方で繁殖した雁(かりがね)は十月の声を聞く頃渡来する。この飛び方は少し離れた先頭の一羽に従い竿になり鍵状になりつつ直線に飛んで行く。わが縦長の列島の空を渡る頃農事は秋から冬の備えに入る。冬の農地は自給自足の分の収穫で足りる。農夫はその分の短い畝を立ててゆく。地道な生活が暦にそって一つ一つと営まれて行く。その頭上大空をやはり例年の如くに竿になり鍵になって雁が渡って来る。雁は目的地に到着し翌春帰るまでは主として湖沼に群棲している。大らかな自然の下で暮らしは小さく地道にねと農夫は教わっている。『続続へちまのま』(2011)所載。(藤嶋 務)


September 2592014

 呼んで応へぬ執事さながら秋の雲

                           筑紫磐井

の雲春の雲。「雲」といっても季節によって様相が変わることを俳句を始めて意識するようになった。そして私が気づくことなどたいていは季語の本意としてとうの昔に詠み込まれており、そこをどうずらすかが勝負どころだろう。もちろんそのずらし方にその作者のものの見方や俳句の捉え方が現れるというもの。掲載句では、澄み切った秋晴れの空にポッカリと動かぬ雲を「執事さながら」と形容する。平凡な日常からは遠く、ちょいと気取った職業を見立てたところが面白い。執事は主人には献身的に尽くすが外部の人間には取り澄まして冷たい。冷ややかな白さで空に浮かぶ白雲は「おーい雲」と呼びかける人間なんてまったく無視ナノダ。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます