最近は連休慣れしているせいか、今日も休日かと思ったら違った。(哲




2014ソスN9ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2292014

 落葉して地雷のごとき句を愛す

                           矢島渚男

き寄せられた落葉。こんもりとしていて、その上を歩くとクッションが効いているので足裏に心地よい。そんな情感を詠んだ句ならヤマほどありそうだが、作者は想像力を飛ばしてもう一歩も二歩も踏み込んでいる。積もった落葉の下には、何があるのだろうか。もちろん、土がある。ならばその土の下には何が埋まっているのだろうかと貪欲である。有名な「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる」ではないけれど、作者はそこに地雷が存在すると想像した。そして地中の地雷は、いわば冷たく逆上しながらも、あくまでも静かに爆発の時を待ちかまえている。と、ここまで連想が至ったときに、自分の好きな句はそんな地雷のような構造を持った句なのだと閃いた。つまりこのときに作者の作家魂は、とつぜん地雷と化したに違いなく、だからここで「地雷のごとき句」と言っているのは、何某作の句という具体的なものではなくて、そんな気概を込めた未来の自作を指しているのだと思った。『延年』(2003)所収。(清水哲男)


September 2192014

 ちちろ鳴く壁に水位の黴の華

                           神蔵 器

和57年9月12日。台風18号の影響で、都内中野区の神田川が氾濫。作者は、この時の実景を15句の連作にしています。「秋出水螺旋階段のぼりゆく」「秋出水渦の芯より膝をぬき」都市にいて、水害に遭う恐怖は、底知れなさにあるでしょう。膝をぬくことで、一命をとりとめた安堵もあります。「鷺となる秋の出水に脛吹かれ」水中に立つ自身を鷺にたとえています。窮地を脱して少し余裕も。「炊出しのむすびの白し鳥渡る」何はともあれ、白いおむすびを食べて人心地がつきます。「しづくせる書を抱き秋の風跨(また)ぐ」家の中も浸水していて、まずは水に浸かった愛蔵書を救出。「出水引くレモンの色の秋夕日」レモンの色とは、希望の色だろうか。オレンジ色よりも始まりそうな色彩です。「畳なきくらしの十日萩の咲く」「罹災証明祭の中を来て受けぬ」。掲句は、この句の前に配置されています。「ちちろ」はコオロギのこと。「壁に水位の黴の華」というところに、俳人の意地をみます。凡人なら、「黴の跡」とするでしょう。しかし、作者は「華」として、あくまでも水害の痕跡を風雅に見立てます。水害を題材にして俳句を作るということは、体験から俳句を選び抜くことでもあるのでしょう。そこには自ずと季語も含まれていて、作者自身も季節の中の点景として、余裕をもって描かれています。『能ケ谷』(1984)所収。(小笠原高志)


September 2092014

 葛の葉の吹きしづまりて葛の花

                           正岡子規

ず香りで気づくことが多い葛の花。成長期には一日数十センチメートルも伸びるというから強烈な生命力である。掲出句は、これが葛の花よ、と教わったとき一緒に教えられた句でその時は、ふーん、と聞き流してしまったように思うのだが、秋になって葛の花に出会うたびに心に浮かんで、気がつくと愛誦句となっていた。群生する大きな葛の葉を吹き渡る秋風、その風が止んだ後いつまでも残る花の香りが余韻となって続く。静かな句ほど印象深いということもあるのだろう。昨日九月十九日は子規忌日、秋に生まれ秋に逝った子規である。『花の大歳時記』(1990・講談社)所載。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます