九月になった。月が変わってすぐに何がどうなる分けでもないが。(哲




2014ソスN9ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0192014

 その中の紺を選びし九月かな

                           木村三男

るほどな、と思う。が、読み返してみると、何も書いてない。書いてないは言い過ぎだろうが、書いてあることはいろいろな色彩の中から、(誰か、あるいは何か)が「紺」色を選んだという、はなはだ頼りないことだけである。それでいて、句の磁石は真直ぐ九月という季節を指している。したがって、何も書かれていないようでいて、作者の言いたいことは誰にでもわかりやすく、きちんと書かれているということになる。すなわち、ここにひとつの俳句の典型がある。好き嫌いはべつにして、俳句づくりは誰もがこの典型に突き当たらざるをえないのだろう。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 3182014

 内緒話皆聞こえさう月の道

                           牧野洋子

子会という言葉が一般化しています。掲句はまぎれもなく女子の句です。なぜなら、作者が女性だからです。いや、そんな単純なことではありません。男子の内緒話なら、もっと淫靡で句にうしろめたさが醸し出されそうですが、それが全くない明るさがあるからです。女子が内緒話をするなら、恋話(コイバナ)でしょう。恋話は、つねに未来形です。これは、『源氏物語』以来の伝統なのではないでしょうか。この物語が、貴族の子女たちの未来の結婚と男女の関係を教育する物語であり、少女漫画が、恋愛の予防接種のような役割を果たしているように、女子は、男子よりも数年先を生きる性です。だから、一般的に、夫よりも妻の方が年下なのかもしれません。ただし、これには多くの異論があります。内緒話をしながら月の道を歩くのは、二人か三人。内緒話だから、ひそやかな声だから、それは心の声なので、皆聞こえそう。聞かれては困るけれど、この気持ちは届いてほしい。月の道を歩きながら、この心の輝きを月が受けとめて、かの人を照らしてほしい。今は女子会といいますが、これは、乙女心という言葉がふさわしいでしょう。「内緒話」の字余りに、心に余る思いを託しています。また、上五から、漢字五文字を続けたことで、乙女心の複雑さを暗示しています。『蝶の横貌』(2014)所収。(小笠原高志)


August 3082014

 一瞬の自死向日葵の午後続く

                           岡本紗矢

射状に広がる黄色い花弁の持つ明るさと種の部分の仄暗さ、向日葵は見る人の心情を照らす花だ。この句を引いた句集『向日葵の午後』(2014)のあとがきには「通勤時に人身事故が発生し、生きることの辛さについて思い巡らしていた時、じりじりと焼けるような太陽の下、向日葵が立ち並ぶ情景に出会った」とある。向日葵が、自死のやりきれなさに対する単なる生の明るさではなく、無常観を持ちながらも明日へ向かう静かな力を感じさせるのは、続く、という一語によるものだ。先週末、生まれて初めて訪れたいわき市の海辺に、向日葵がたくさん咲き残っていた。ときおり吹く初秋の風の中、朽ちてゆきながらまっすぐ立っている向日葵の姿は深く心に刻まれている。(今井肖子)




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