昨日から東京は急に秋。これで俳人たちも秋の句を詠めるだろう。(哲




2014ソスN8ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2682014

 草の穂や膝をくづせば舟揺れて

                           藤田直子

と舟は、推進に動力を利用する大型のものが船、手で漕ぐごくちいさなものを舟、とその文字により区別される。現在でも川や湖など短距離を移動するための手段として渡し船が活躍する場所もあるが、舟の腹にぶつかる波も、船頭の立てる櫓のきしむ音も、なつかしいというより、ひっくり返りはしないかと落ち着かないものである。小刻みな揺れに身を任せることにもどうにか慣れ、ようやく緊張の姿勢を解いたそのとき、舟が大きく傾く。こんな時、ひとはきっと一番近い陸を見る。あそこまで泳げるか、などという現実的な考えなど毛頭なく、地上を恋う体がそうさせるのだ。すがる思いで岸辺を見れば、草の穂が秋の日差しのなかきらきらと輝いている。風に揺れるのは草の穂なのか、自分自身なのか……。水のうえに置かれている我が身がいっそう頼りなく思え、頬をかすめる秋の風が心細さをつのらせる。〈一舟に立ちてひとりの白露かな〉〈汁盛神社飯盛神社豊の秋〉『麗日』(2014)所収。(土肥あき子)


August 2582014

 蝉殻を踏めば怖ろしうすき聲

                           中島夜汽車

ろしい句だ。とくに私のように、子供のころの夏休みの退屈紛れに、遊び半分で無数の蝉を殺戮(!)した者にとっては。思い出すだにおぞましい思いにとらわれるので、殺戮の詳細については書かないでおく。句の「怖ろし」をくどいと思う人もいそうだが、私には適当と思える。「蝉殻」は亡骸ではない。だからこそ、それが発する、発するはずもない「うすき聲」には、この世のものではない「怖ろしさ」があるのだ。いずれはこの声にとり殺されるのではないかと、読んだ瞬間にはぞっとした。道を歩いていて、気づかずに蝉殻を踏む。よくあることである。たいていの人は気にもかけないのだろうが、そこに「うすき聲」を聞いてしまった作者は、私とはまた別の意味で、蝉に対する特別な思い入れがあるのだろうか。気になる、ことではあった。『銀幕』(2014)所収。(清水哲男)


August 2482014

 大佛の中はからつぽ台風過

                           小口たかし

年は初夏からいくつもの台風が過ぎていきました。甚大な被害に遭われた方も多く、年々その規模が拡大しているように思われます。私もちよっとした影響を受けました。出張先で、道を倒木に遮られ迂回したり、送電線に倒木が寄りかかっているのを、電力会社の人が復旧させている様子を目撃したりです。日本列島に住む者にとって、台風は避けられない脅威です。日常を一変させる災害をやむなく受け入れてきた日本人が、仏教から無常の思想を取り入れたのも自然ななりゆきです。掲句は、大佛の背後を台風が通過する様をとらえています。疾走する雲と不動の大佛。たぶん雨は降っていません。ただ、風には熱風がふくまれています。いつもより輪郭がくっきりしている大佛をながめながら、作者は、ゆく川の流れのように刻々と変化していく空模様に無常をみると同時に、不動の大佛に常住している「からつぽ」の空気に停滞を見いだしたのではないでしょうか。たしかに、大佛の中は換気が悪そうです。大佛という人工物をシニカルに見つつ、台風が過ぎた後の澄み切った青空を予感させます。『四重奏』(1993)所収。(小笠原高志)




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