August 232014
白桃の浮力が水を光らせる
東金夢明
シンクに水を張って白桃をそっと入れてみた。水に触れた瞬間、表面の産毛に細かい泡がきらきら生まれ、手を放すと桃はゆらりと少し浮く。そして、水中で自重と浮力のはざまを行ったり来たり、指で軽くつつくと沈み切ってしまう直前の危うさでたゆたっていた。無数ともいえる産毛の一つ一つがまとう光は、透明な水をより透明にして想像以上に美しい。白桃という、色合いといい形といいこの上なくやわらかいものと、浮力というやや硬い言葉と、水を光らせる、という断定的な表現との出会いが、この想像以上の美しさを鮮やかに見せている。『月下樹』(2013)所収。(今井肖子)
August 222014
鶺鴒の鳴くてふけふでありにけり
香田なを
鶺鴒は長い尾を振りながら歩きリリッ、リリッと澄んだ声で鳴く。石の鈴を連想させるので石鈴との俗説。広い河川、農耕地、市街地の空地など開けた環境で何処でも見られる。そんな何でもない風景を普段は何気なく見過ごして行く。ところが何でもない普通の日々が突然に失われる事がある。例えば病を得たときなど。出来なくなってしまた生活の諸事、味噌汁の味、気ままな小旅行、サッカー観戦や仲間との談笑。何でもない普通の事も出来ないとなれば羨ましい。そんな時ふっと命を考え儚さを想う。鶺鴒が鳴いている。それを見ている私が今確かにここに在る。万事はこれだけで佳しと思う。作者も病を得た事を機に一書を上梓したと言う。命愛しや。『なをの部屋』(2013)所収。(藤嶋 務)
August 212014
蜜豆や母の着物のよき匂ひ
平石和美
蜜豆はとっておきの食べ物だ。つい先日異動になる課長が課の女性全員に神楽坂の有名な甘味処『紀の善』の蜜豆をプレゼントしてくれた。そのことが去ってゆく課長の株をどれだけ上昇させたことか。蜜豆の賑やかで明るい配色と懐かしい甘さは、子供のとき味わった心のはずみを存分に思い起こさせてくれる。掲載句ではそんな魅力ある蜜豆と畳紙から取り出した母の着物の匂いの取り合わせである。幼い頃から見覚えのある母の着物を纏いつつ蜜豆を食べているのか。懐かしさにおいては無敵としか言いようがない組み合わせである。「みつまめをギリシャの神は知らざりき」と詠んだのは橋本夢道だけど、男の人にとっても蜜豆は懐かしく夢のある食べ物なのだろうか。『蜜豆』(2014)所収。(三宅やよい)
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