ゴロゴロしながら高校野球を追いかけるのもラクじゃない。(哲




2014ソスN8ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2082014

 フード付きマント/影の色持ち/オアシスの暑さ

                           ジム・ケイシャン

句は「a burnoose takes on / the color of the shade / oasis heat」(Jim Kacian/邦訳:夏石番矢)。海水浴場の砂浜にかぎらず、暑い日差しのなかでは、フード付きマントのフードをすっぽりかぶっていないと、炎暑はたまったものではないし、健康管理上ヤバい。「影の色」とはマントについた「フード」による日影を意味していると思われる。単なる「影」ではなく、「影の色」と表現したところにポエジーが感じられる。フードで暑さはいくぶん避けられるとしても、マント全体は暑い。フードを「オアシス」ととらえても暑さは避け切れない。でも、確かに多少なりともホッとできるような、「オアシス」という語感がもつ救いが若干なりともあるだろう。句の舞台は実際の砂漠ではなくて、暑い日差しのなかでの「フード付きマント」であり、それを「オアシス」と喩えたものと私は解釈したい。ケイシャンはアメリカ人で、「英語俳句を創作し、広めることを目的とした団体を創立し、ディレクターを務める」「多くの俳句の本を出版する」と略歴紹介にあるとおり、英語俳句の実力者である。「吟遊」63号(2014)所載。(八木忠栄)


August 1982014

 天の扉を開けて星降るビアガーデン

                           工藤 進

うまでもないことながら、ビアガーデンの定義は屋外である。開放的な空間で、わいわいがやがやとジョッキを掲げる。ビアガーデンの発祥は昭和12年、ニュートーキョー数寄屋橋本店屋上だといわれ、以来毎年の夏の都心を彩ってきた。冷房完備、個室優勢の現代でも、人は折々夜風に吹かれ、ビールに喉を鳴らしたいときがある。ビジネスマンが仕事帰りに集うことが多いため、駅前のビルやデパートの屋上など、交通に便利な場所が多いが、都心を離れた場所で人気のビアガーデンもある。高尾山のケーブルカー降り口にある高尾山ビアマウントは標高500メートル。夜空には星が輝き、地上の夜景も見渡せる。掲句は「天の扉」としたことで、特別な空間が生まれ、また、満天の夜空からこぼれ落ちる星を掲げるジョッキで受けるような豪快な美しさを伴った。〈百草に百種のこゑ秋澄めり〉〈秋の七草夕日を束ねてゐたりけり〉『ロザリオ祭』(2014)所収。(土肥あき子)


August 1882014

 水を出しものしづまりぬ赤のまま

                           矢島渚男

リラ豪雨というそうだが、この夏も各地が激しい雨に見舞われた。山口県の私の故郷にも大量の雨が降り、思いがけぬ故郷の光景をテレビで眺めることになったのだった。ただテレビの弱点は、すさまじい洪水の間の様子を映し出しはするものの、おさまってしまえば何も報じてくれないところだ。句にそくしていえば「しずまりぬ」様子をこそ見たいのに、そういうところはニュース価値がないので、切り捨てられてしまう。「水を出し」の主体は、私たちの生きている自然環境そのものだろう。平素はたいした変化も起こさないが、あるときは災害につながる洪水をもたらし、またあるときは生命を危機に追い込むほどの気温の乱高下を引き起こしたりする。だがそれも一時的な現象であって、ひとたび起きた天変地異もしずまってしまえば、また何事もなかったような環境に落ち着く。その何事もなかった様子の象徴が、句では「赤のまま」として提出されている。どこにでも生えている平凡な植物だけれど、その平凡さが実にありがたい存在として、風に吹かれているのである。それにつけても、故郷の水害跡はどうなっているだろうか。農作物への被害は甚大だったろうが、せめていつもの秋のように、風景だけでも平凡なそれに戻っていてほしい。あの道々やあの低い丘の辺に、いつものようにいつもの「赤のまま」が、いつもの風に吹かれていてほしいと、切に願う。『延年』(2003)所収。(清水哲男)




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