ドイツから孫とその友人がやってくる。18歳、かの国では成人だ。(哲




2014ソスN8ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0982014

 原爆忌乾けば棘を持つタオル

                           横山房子

日の猛暑に冬籠りならぬ夏籠りのような日々を送っているうち暦の上では秋が立ち、そしてこの日が巡って来る。一度だけでもありえないのになぜ二度も、という思いと共に迎える八月九日。八月六日を疎開先の松山で目撃した母は、その時咲いていた夾竹桃の花が今でも嫌いだと言うが、八月の暑さと共にその記憶が体にしみついているのだろう。この句の作者は小倉在住であったという。炎天下に干して乾ききったタオルを取り入れようとつかんだ時、ごわっと鈍い痛みにも似た感触を覚える。本来はやわらかいタオルに、棘、を感じた時その感触は、心の奥底のやりきれない悲しみや怒りを呼び起こす。夫の横山白虹には<原爆の地に直立のアマリリス >がある。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


August 0882014

 筒鳥に涙あふれて失語症

                           相馬遷子

鳥は郭公や時鳥に似た姿態で「ポポ、ポポッ」と筒を打った様な声で鳴く。夏鳥として九州以北の山地の林に渡来し、秋は平地の桜の木の毛虫をよく食べに来る。ウグイス科のセンダイムシクイという鳥の巣に自分の卵を託して雛を孵してもらう。仲間の郭公、時鳥なども自分では巣を作らないで他の鳥の巣に卵を産み込み雛を育てさせる。これを託卵という。母は子を知らず子は母を知らない。人には感情の起伏があり喜怒哀楽がある。たかがテレビドラマの世界に貰い泣きする老いの日々もある。作者は今何か感情の高まった拍子に聞こえた「ポポ、ポポッ」という淋しい声が引き金になり、思わずも頬に涙を溢れさせている。感極まって言葉を失し絶句状態になるときがあるが病名をつければ失語症といったところ。失語症ながらも眼が何かを訴えている。目は口ほどに物を言う。瞳ほど雄弁なものはない、まして涙は。『雪嶺』(1969)所収。(藤嶋 務)


August 0782014

 原爆忌テレビ終れば終るなり

                           柳沼新次

年八月六日になればテレビで広島での原爆死没者慰霊式の様子が放映される。献花の後に8時15分原爆投下時の黙祷、平和宣言などが続く。原爆投下直後の街の凄まじさについて被爆者である義父はあまり語らなかった。瀕死の妻を抱えて命からがら脱出した土地で傷を養い、ゆっくり回復していったようだ。当時新型爆弾と呼ばれ、放射能の影響がよくわかっていない中で様々な憶測や流言飛語が乱れ飛んだだろう。そのさなかに避難してきた被爆者を介護した広島周辺の人々と、爆心地へ救助に入った人たちの勇気を合わせて思う。慰霊式の中継が終われば普段の番組が始まり、見る側の私たちも日常に戻ってしまう。「終れば終るなり」と強い断定で言い切ったことで、そのあとの余白にあの日起こったことが今も持続していることを強く感じさせる。八月九日には長崎原爆犠牲者慰霊の日を迎える。無慈悲に人を破壊するのも、傷ついた人を助けるのも人間である事実を忘れたくはない。『無事』(2013)所収。(三宅やよい)




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