東京地方のみに晴れマーク。夏らしい天気も続くとげんなり。(哲




2014ソスN8ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0882014

 筒鳥に涙あふれて失語症

                           相馬遷子

鳥は郭公や時鳥に似た姿態で「ポポ、ポポッ」と筒を打った様な声で鳴く。夏鳥として九州以北の山地の林に渡来し、秋は平地の桜の木の毛虫をよく食べに来る。ウグイス科のセンダイムシクイという鳥の巣に自分の卵を託して雛を孵してもらう。仲間の郭公、時鳥なども自分では巣を作らないで他の鳥の巣に卵を産み込み雛を育てさせる。これを託卵という。母は子を知らず子は母を知らない。人には感情の起伏があり喜怒哀楽がある。たかがテレビドラマの世界に貰い泣きする老いの日々もある。作者は今何か感情の高まった拍子に聞こえた「ポポ、ポポッ」という淋しい声が引き金になり、思わずも頬に涙を溢れさせている。感極まって言葉を失し絶句状態になるときがあるが病名をつければ失語症といったところ。失語症ながらも眼が何かを訴えている。目は口ほどに物を言う。瞳ほど雄弁なものはない、まして涙は。『雪嶺』(1969)所収。(藤嶋 務)


August 0782014

 原爆忌テレビ終れば終るなり

                           柳沼新次

年八月六日になればテレビで広島での原爆死没者慰霊式の様子が放映される。献花の後に8時15分原爆投下時の黙祷、平和宣言などが続く。原爆投下直後の街の凄まじさについて被爆者である義父はあまり語らなかった。瀕死の妻を抱えて命からがら脱出した土地で傷を養い、ゆっくり回復していったようだ。当時新型爆弾と呼ばれ、放射能の影響がよくわかっていない中で様々な憶測や流言飛語が乱れ飛んだだろう。そのさなかに避難してきた被爆者を介護した広島周辺の人々と、爆心地へ救助に入った人たちの勇気を合わせて思う。慰霊式の中継が終われば普段の番組が始まり、見る側の私たちも日常に戻ってしまう。「終れば終るなり」と強い断定で言い切ったことで、そのあとの余白にあの日起こったことが今も持続していることを強く感じさせる。八月九日には長崎原爆犠牲者慰霊の日を迎える。無慈悲に人を破壊するのも、傷ついた人を助けるのも人間である事実を忘れたくはない。『無事』(2013)所収。(三宅やよい)


August 0682014

 麦飯の熱(ねつ)さめがたき大暑かな

                           宮澤賢治

ろろめしには麦飯がふさわしい。麦とろ。近年では、麦飯はヘルシーなレシピとして好まれるケースが多い。賢治の場合はその時代からしてヘルシーどころか、やむを得ず米に麦を混ぜた麦飯であろう。凶作の年は、稗や粟も米に混ぜたし、大根めしもあった。凶作の東北では珍しいことではなかった。この国では産米が余って、近年は減反政策がしばらく実施されて来たのだが、今になってそれを見直すのだという。この国の農業政策の無為無策ぶりは相変わらずである。さて、「大暑」は本来7月22日頃の酷暑をさす二十四節気の一つだが、このところの連日の暑さにあきれて、今回は少々遅れて賢治句に登場ねがった。暑いときだから炊きたての麦飯ではたまらない。冷まして漬物でさっさと食べたいのだろうが、団扇で暑さに耐えながらしばし待っているといった図か。賢治が実際に遭遇した光景かもしれない。実感がこめられている。当方もふところが淋しいときには、麦飯によるとろろめし。それに佃煮か焼いた丸干をかじる素朴な麦とろは、安値ながらも妙に心が落ち着いたものである。賢治の俳句は少ないけれど、「目刺焼く宿りや雨の花冷に」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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