July 2972014

 あっちこっち「う」の字が泳ぐうなぎの日

                           山本直一

日土用丑。ここ数年鰻の稚魚が不漁のため価格高騰が続いたが、今年は豊漁という嬉しいニュースがあった。掲句の「う」はもちろんうなぎ屋の店先に掛かる暖簾に描かれたうなぎの「う」。デザイン化されたものはみごとな鰭や尾までついている。やはり日本の暑気払いにはこれでしょう、とばかりに紺地の暖簾に白抜きの「う」の字が涼やかに客足を招いている。というわけで今年こそいざいざ、と胸を踊らせていたところだが、先月ニホンウナギが絶滅危惧種としてレッドリスト改訂版に記載されたことが報じられた。鯰も蒲焼きにすれば同じような味だという。そうかもしれない。自然保護も大切である。ああしかし、それでもやっぱり……と、鰻食いの筆者にとって、今年はなおさら「う」の字の尻尾があっちこっちに跳ねて見える。『鳥打帽』(2014)所収。(土肥あき子)


July 2872014

 皆遠し相撲取草を結ばずに

                           矢島渚男

いていの人は「相撲取草」の名前も知らないし、知ろうともしないと思うが、この草は茎が強靭なので、昔の子供たちはこの茎を輪のように結んでお互いに引っ張り合い、勝負を競ったものだ。ある程度の年齢以上の人たちにとっては、そぞろ郷愁を誘われる雑草である。いまではすっかりこの遊びもすたれてしまい、もう子供ではない作者も、この草を結ばなくなってから久しい。炎天下に逞しく生えている相撲取草を眺めるともなく眺めていると、小さかったころいっしょに相撲取草で遊んだともがらや、往時のあれこれの出来事などが思い出されて、茫々の感にとらわれてゆく。何もかもが遠くなってしまった……。この一種のセンチメンタリズムは、私などには好もしい。それはおそらく、夏という季節の持ついわば「滅びの予感」から来るのだと思う。四季のなかでもっとも活性的な夏はまた、同時に滅びへの予感に満ちている。盛夏と言ったりするが、盛夏にはもはや明日はない。盛りの一瞬一瞬は、滅びへの道程だけだ。そしてこの道筋は、私たちの人生のそれにも重なってくる。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


July 2772014

 古書店を出でて青葉に染まりたり

                           波多野完治

者は、御茶ノ水女子大で学長を務めた心理学者。俳句を始めたのは八十歳を過ぎてからで、あとがきには、「生涯教育の時代は、生徒が先生を選べる時代である。だから、ゆっくりさがせば、自分に合った先生は必ず見つかる」と、自身の経験を語っています。一高では小林秀雄と同級だっただけあり、掲句もふくめて句集には、教養主義の香りが所々に立ちこめています。例えば、「青嵐ツァラトゥストラの現れむ」「明け易し老いて読み継ぐ三銃士」「雹(ひさめ)ふりページ小暗き山居かな」「短夜やメルロー・ポンティ終了す」。掲句は作者にとって、学生時代から老齢に至るまで変わらない夏の出来事だったのでしょう。場所はたぶん、神田神保町。旧制高校を経験した世代にとって古書店は、未来の自我に出会える場です。だから、いったん店内に入ったら、書棚の隅から隅まで目を配り、貪欲な嗅覚を発揮して店内を渉猟します。やがて、知的欲求と懐具合とを勘案して、数冊を抱えて店内を出ます。その時、古書店という観念の森に繁る言の葉に置いていた作者の身は、現実の青葉に染まり始めて、夏の最中へと還俗していきました。他に、「草田男の初版に出会ひ炎天下」。『老いのうぶ声』(1997)所収。(小笠原高志)




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