地球なんかこのまま滅亡してしまえ。狂った世の中を見るにつけ。(哲




2014ソスN7ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1872014

 巻尺を伸ばしてゆけば源五郎

                           波多野爽波

事現場だろうか。地面に巻尺を当てて伸ばしていったら、近くの池に源五郎がいたというのである。この句、描かれているものは、「巻尺」と「源五郎」だけだ。省略の効いた二物配合の句である。中七の「伸ばしてゆけば」は、動作の表現だけではなく、巻尺を伸ばしている時間をも感じさせる。それにしても、「巻尺」から「源五郎」へ飛躍するイマジネーションの柔軟なこと。意外性に溢れつつ、リアリティを失っていない作品である。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


July 1772014

 やわらかくきっぷちぎられ水族館

                           長岡裕一郎

季の句だが水族館の醸し出す雰囲気が涼しげで句の雰囲気が夏を思わせる。炎天を逃れて薄暗い館内に入ると明るい水槽では魚たちが自在に泳ぎ回っている。この頃は深さによって棲み分ける魚たちの生態も見られるように数十メーターの高さのある大きな水槽が設置された水族館も多く、水族館での楽しみ方も増えた。動物園や映画館など入口でちぎって渡される半券はどこも柔らかいように思うが、ひらがなの表記に続けて接続する「水族館」の「水」の効果で手の内で湿る半券のやわらかな感触が伝わってくる。人それぞれの思い出の中に水族館はあるだろうが、掲句を読んで、私は幼い頃よく行った須磨水族館を思った。窓の外には須磨の浜が広がっていた。今も海水浴客でにぎわっているだろうか。『花文字館』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1672014

 浅草や買ひしばかりの夏帽子

                           川口松太郎

の日本人は、年間を通じて帽子をあまりかぶらない人種と言える。数年前に夏のシンガポールへ行った時も、日本以上に暑い日差しのなか帽子をかぶっている人の姿が少ないことに、どうして?と驚いた。(日本人に限ったことことではないか、と妙に納得した。)掲出句は浅草で買った夏帽子をかぶって、浅草を歩いているのではあるまい。そうではなくて、どこかの町で買ったばかりの夏帽子をかぶって、暑い日盛りの浅草へ遊びにでも出かけたのであろう。去年の夏もかぶっていた帽子ではなく、ことし「買ひしばかり」の夏帽子だから、張り切って意気揚々と浅草のにぎわいのなかへ出かけた。祭りなのかもしれない。帽子にも近年はいろいろとある。サハリ帽、パナマ帽、中折れ帽、アルペン帽、バンダナ帽、野球帽、麦わら帽……松太郎の時代、しかも浅草だから、高級な麦わら帽かパナマ帽なのかもしれない。いずれにせよ、新調した夏帽子をかぶって盛り場へ出かける時の高揚感は、時代を超えて格別である。松太郎には他に「秋晴の空目にしみる昼の酒」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)




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