いま私たちは戦後史の大転換点にいる。実感はなくても間違いない。(哲




2014ソスN6ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2962014

 羅をゆるやかに著て崩れざる

                           松本たかし

(うすもの)は、絽(ろ)の着物でしょう。昭和初期の日本の夏は、扇風機も稀でした。扇子、団扇、風鈴に加えて、いでたちを涼しく、また、相手に対して涼やかにみせる配慮があったことでしょう。作者は能役者の家に生まれ、幼少の頃から舞台に立っていましたから、他者から見られる自意識は強かったはずです。掲句は、自身が粋ないでたちで外出しながらも、暑さに身を崩さない矜持(きょうじ)の句と読めます。一方、これを相手を描写した句ととることもできるでしょう。となれば、相当しゃれた女性と対面しています。胸部疾患が原因で、二十歳で能役者を断念した作者ですが、繊細で神経症的な印象に反して、かなりの艶福家であったことを側近にいた上村占魚が記しています。また、「たかしの女性礼讃は常人をうわまわり盲目性をおびていた」とも。そう考えると、自身を粋に仕上げている女性を描写した句です。いずれにしても、絽の着物を召している作中の人物は、舞台上の役者のごとく背後に立つもう一人の自分の眼で立居振舞を律しています。同時に、そのような離見の見を相手に気づかせないゆるやかないでたちで現れています。現在では、もうほとんど見られなくなってしまった夏の浮世離れです。『松本たかし句集』(1935)所収。(小笠原高志)


June 2862014

 梅雨に和す鰭美しき魚焼いて

                           神尾久美子

こんな感じです、と送られてきた動画を見てびっくり、かなり大きい雹が降っている映像、都内からだ。その日は都心でも雷が遠く聞こえて空は暗く大雨の予感、まさに梅雨最中という一日だった。うっとおしいけれど梅雨が無ければお米も実らないしな、などと言いつつ六月も終わる。雨ばかりだと滅入りもするが、外の雨を見ながらの家居は小さな幸せを感じるものだ。ゆっくりと時間を使って過ごせるそんな日は、勢いよく炒め物を作るより、じっくりと魚を焼く方が似合っている。グリルでタイマー、ではなく網で、魚が焼けていく様をじっと見ている作者。少し焦げ色のつき始めた鰭を美しいな、と思った時、和す、という美しい言葉が浮かんだのだろう。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 2762014

 帚木が帚木を押し傾けて

                           波多野爽波

の句に対しては、爽波はよく語っていた。同時作「帚木のつぶさに枝の岐れをり」と比較して、「『つぶさに枝に岐れをり』の方は、他の人でも詠めるかも知れないが、『押し傾けて』の方は、なかなか詠めないでしょう」と。「つぶさに」の方は、細かい観察眼がうかがえるが、「押し傾けて」の方は、帚木の存在そのものの核に迫っていく迫力がある。「帚木に影といふものありにけり高浜虚子」のように、従来の帚木のイメージは、はかなげなものであった。それを爽波は、力強い存在に詠んでみせた。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)




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