沖縄は昨日梅雨明け。本州ではこれからが梅雨本番となりますね。(哲




2014ソスN6ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2762014

 帚木が帚木を押し傾けて

                           波多野爽波

の句に対しては、爽波はよく語っていた。同時作「帚木のつぶさに枝の岐れをり」と比較して、「『つぶさに枝に岐れをり』の方は、他の人でも詠めるかも知れないが、『押し傾けて』の方は、なかなか詠めないでしょう」と。「つぶさに」の方は、細かい観察眼がうかがえるが、「押し傾けて」の方は、帚木の存在そのものの核に迫っていく迫力がある。「帚木に影といふものありにけり高浜虚子」のように、従来の帚木のイメージは、はかなげなものであった。それを爽波は、力強い存在に詠んでみせた。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 2662014

 東京ははたらくところ蒸し暑し

                           西原天気

日都心に通勤しているが、「はたらくところ」というのは実感だ。東京の都心は生活の匂いがしない。窓のあかない高層ビルの只中に緑はまばら、夏の日の照り返しを受けた舗道を歩くとあまりの暑さに息が詰まる。冷房のきいたオフィスと戸外の気温の落差に一瞬目がくらむほどだ。「はたらく」という忍耐の代償としてお給料がある。と、新聞の人生相談に書いてあったけど、憂鬱な表情で通勤している人たちはどうやって自分をなだめているのだろう。今朝もまた人身事故で電車が遅れるという告知が電光掲示板に流れる。やってられないなぁ、と思いつつ掲句を呟いてみる。『はがきハイク』(2010年7月・創刊号)所載。(三宅やよい)


June 2562014

 金魚売買へずに囲む子に優し

                           吉屋信子

秤棒をかついで盥の金魚を売りあるくという、夏の風物詩は今やもう見られないのではないか。もっとも、夏の何かのイベントとしてあり得るくらいかもしれない。露店での金魚すくいも激減した。ネットで金魚が買える時代になったのだもの。商人(あきんど)が唐茄子や魚介や納豆や風鈴をのどかに売りあるいた時代を、今さら懐かしんでも仕方があるまい。小遣いを持っていないか、足りない子も、「キンギョエー、キーンギョ」という売り声に思わず走り寄って行く。欲しいのだけれど、「ください」と言い出せないでいるそんな子に対して、愛想のいい笑顔を向けている年輩の金魚売りのおじさん。「そうかい、いいよ、一匹だけあげよう」、そんな光景が想像できる。金魚にかぎらず、子どもを相手にする商人には、そうした気持ちをもった人もいた。いや、そういう時代だった。掲句には、女性ならではのやさしい細やかな作者の心が感じられる。信子には多くの俳句がある。「絵襖の古りしに西日止めにけり」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)




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