午後余白句会。兼題(國井克彦出題)は「蚊」「野(要季語)」。(哲




2014ソスN6ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2162014

 夏至の日に嫁ぐわが影寸詰まる

                           唐崎みどり

わゆるジューンブライドである作者。ヨーロッパでは雨が少なくいい季節である六月も日本では梅雨時、それをジューンブライドなどとは結婚式場の企業戦略にのせられているという向きもあるが、女神ジュノーに由来するとも言われどこかロマンティックだ。そして幸いこの句の作者は五月晴に恵まれ、今日の良き日を迎えている。寸詰まり、とは言うが、寸詰まる、という動詞は見当たらないのだが、ふと足元を見下ろした時の、嫁いでゆくという感慨とはかけ離れた感のある花嫁のつぶやきは、おかしみと同時に照れくささやもの悲しさの入り混じった得も言われぬ複雑な心情を言い留めている。『草田男季寄せ』(1985)所載。(今井肖子)


June 2062014

 妻ときて風の螢の迅きばかり

                           波多野爽波

波先生に師事していたころ、ご家族の話をうかがうことは少なかった。ただ、ある時、二次会の飲み会の席上で、奥さまの着物の着こなしが、お上手であることを、嬉しそうに話されていたことを思い出す。掲句、奥さまと歩いてきたら、風に乗った蛍が、速く飛んでいたという情景である。下五「ばかり」に、作者の心情が託されている。蛍と言えば、ゆらゆらと、ゆっくり飛び交っているのが、情緒あるもの。それが、風に流されて、速く飛んでいるのでは、情緒がない。意外性の中に、淡い失望を感じさせる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 1962014

 犬を飼ふ 飼ふたびに死ぬ 犬を飼ふ

                           筑紫磐井

心ついた時から何匹の犬と出会ったことだろう。家族が動物好きだったので犬と猫は絶やしたことがなかった。犬はシビアに家族の順位を決めるので五人兄弟の末っ子の私などは犬以下の存在で噛まれたり追いかけられたり散々だった。そんな犬たちも次々老いて死んでいったが一度犬を飼うと死んだ後の寂しさを埋めるように、また犬を飼い始めてしまう。結局最後は自分の老いと考え合わせて、最後まで面倒見切れないと判断した時点で「飼う」というサイクルも終わりを迎える。「犬」と「飼う」という言葉の繰り返しで、犬と人間の付き合いを、飼い主より先に死んでしまう犬への哀惜を、ひしひし感じさせる句だと思う。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)




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