羽田の国際線増加へ“東京上空”解禁案浮上。ここでも住民無視か。(哲




2014ソスN6ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0762014

 蛇のあとしづかに草の立ち直る

                           邊見京子

どもの頃は夏になると青大将が道を横切るのが当たり前だったが、長じてからは数えるほどしか出会っていない蛇。先日都内の庭園で後ろから、そっちへ今行くと蛇がいますよ、と声をかけられ、ありがとうございます、と走って行き久々遭遇したが、変な人と思われたに違いない。夏草の茂っている中で蛇に会った記憶はそうないが、いつも去っていく気配を見送るという感じだった。この句の作者も、そんな蛇の後姿をしばらく見ていたのだろう。たった今蛇が通った跡の草は蛇の進んだ方向へやや傾ぎながら倒れている。さらに見ていると、一瞬の強い力で踏まれたのとは違い、草はすぐしなやかに立ち直って風に揺れ始める。作者の視線もまた、確かでありしづかである。『俳句歳時記・夏(第四版)』(2007・角川書店)所載。(今井肖子)


June 0662014

 美しやさくらんぼうも夜の雨も

                           波多野爽波

置法である。本来ならば、「さくらんぼうも夜の雨も美しや」となるところである。爽波は、まず、「美しや」と主観を強調する。さくらんぼのつやつやした美しさはもちろんのことだが、夜の雨が美しいというのは、個性的な感覚を感じさせる。土砂降りではなく、しとしとと、降っていたのであろう。「……も……も」の繰り返し表現が、ぽたぽた落ちる雨だれのようにひびいてくる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 0562014

 優曇華やかほのなかから眠くなり

                           鴇田智哉

りにいつ陥るのか。その瞬間を見届けたいと思いつつ、寝かけたと意識した時には目覚めてしまうのがもどかしい。寝付きは自分でコントロールできないので、不眠症になると起きる時間を整えながらリズムを作るしかないという。掲句では眠気が「かほのなかから」やってくるというフレーズが魅力的だ。ぼんやりとした眠気と、柄を伸ばした優曇華の不思議な形状がほのかに通じ合う。眠気が結実すると柄の先の白い卵から夢が生まれる。優曇華にだぶらせて、言葉にできない感覚を言い当てている。掲句のような俳句を生み出すのに、作者は四六時中感覚のアンテナを張り巡らせて言葉への変換を意識していることだろう。ぼんやりした感覚を言葉で捉えるのにぼーっとしていてはダメなのだ、きっと。『こゑふたつ』(2005)所収。(三宅やよい)




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