五歳から義務教育化の動き。あんまりガツガツしなさんな。(哲




2014ソスN6ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0662014

 美しやさくらんぼうも夜の雨も

                           波多野爽波

置法である。本来ならば、「さくらんぼうも夜の雨も美しや」となるところである。爽波は、まず、「美しや」と主観を強調する。さくらんぼのつやつやした美しさはもちろんのことだが、夜の雨が美しいというのは、個性的な感覚を感じさせる。土砂降りではなく、しとしとと、降っていたのであろう。「……も……も」の繰り返し表現が、ぽたぽた落ちる雨だれのようにひびいてくる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 0562014

 優曇華やかほのなかから眠くなり

                           鴇田智哉

りにいつ陥るのか。その瞬間を見届けたいと思いつつ、寝かけたと意識した時には目覚めてしまうのがもどかしい。寝付きは自分でコントロールできないので、不眠症になると起きる時間を整えながらリズムを作るしかないという。掲句では眠気が「かほのなかから」やってくるというフレーズが魅力的だ。ぼんやりとした眠気と、柄を伸ばした優曇華の不思議な形状がほのかに通じ合う。眠気が結実すると柄の先の白い卵から夢が生まれる。優曇華にだぶらせて、言葉にできない感覚を言い当てている。掲句のような俳句を生み出すのに、作者は四六時中感覚のアンテナを張り巡らせて言葉への変換を意識していることだろう。ぼんやりした感覚を言葉で捉えるのにぼーっとしていてはダメなのだ、きっと。『こゑふたつ』(2005)所収。(三宅やよい)


June 0462014

 夏衣新仲見世の午下り

                           北條 誠

のごろの夏の衣服は麻やジョーゼット(うすもの)をはじめ、新しく開発された繊維がいろいろと使われて、清涼感が増してきている。かつての絽、紗、明石、縮緬などは、いずれも軽くて涼しいものだ。「夏服」ではなく「夏衣」というから、ここでは和服であろう。いかにも浅草である。にぎやかな仲見世通りとちがって、そこに交差するむしろ幾分ひんやりとした通りである。昼下りののんびりとした新仲見世通りの静けさを、夏衣に下駄履きのお人が、軒をならべる店をひやかしながら歩いているのだ。お祭りどきの浅草は、路地にも人が入りこんでごった返してにぎやかだが、ふだんは静かで睡気を催したくなるような空気が流れている。新仲見世と言えば、老舗「やげん堀」本店の七味唐辛子。浅草へ行ったら、私は必ずここに立ち寄って好みの辛さを調合してもらうことにしている。また、お向かいの「河村屋」の玉ネギのたまり漬けなどは珍しくて、おいしさもこたえられない。浅草でひとりちびりちびりやる昼酒……おっと、横道へ入りこんでしまいそう……。誠の句に「永代の橋の長さや夏祭」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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