久留米市の薔薇園。今年で見おさめかと思うと、やはり寂しい。(哲




2014ソスN5ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1152014

 母の日の祖母余所行着をすぐに脱ぐ

                           池田澄子

日は母の日。『新日本大歳時記』によると、もとは米国ウェブスターに住むアンナ=ジャービスが母を偲ぶため白いカーネーションを教会の人々に分けたのが始まりで、1914年5月にウィルソン大統領によって母の日と定められた、とあります。掲句は作者が少女の頃でしょう。祖母が外出先から帰ってきて、余所行着(よそゆき)をすぐに脱ぎ、大事に仕舞ってから普段着に着替えるその素早さを記憶しています。祖母にとって母の日は名ばかり。かつての母は、手を動かしながら家中をくまなく動き回っていました。家電が流通する以前の暮らしでは、衣・食・住のすべてが手間ひまかかる手仕事です。繕い物の針仕事、早朝の煮炊き、はたき・ほうき・ぞうきんがけ。手を動かしながら次の手仕事を見つけ 、それがまた、次の動きにつながります。その経験の積み重なりがおばあちゃんの知恵袋を作っていったのでしょう。掲句の祖母が「余所行着をすぐに脱ぐ」のは、普段着という仕事着に着替え、家庭のプロフェッショナルへと切り替わるスイッチのオンなのです。これぞ主婦のプロ。その記憶を孫に伝えています。かつての少女は、おそらく祖母の齢を越えて、その素早い替わり身を受け継いでいるのでしょう。なお、中七のほとんどを漢字にしたのは外出を暗示した工夫と読みました。『池田澄子句集』(ふらんす堂・1995)所収。(小笠原高志)


May 1052014

 夕風はうすむらさきに蟻地獄

                           野木藤子

れかけた空、どこからともなく漂う木々の香り、うすむらさきの風とはまさに初夏の心地よい風らしい。そこに蟻地獄である。以前、アリジゴクを捕獲してペットボトルで飼ったという話を聞いたが、美しいともいえるすり鉢状の巣を器用に作りまさにアトシザリ、本当に前には進めないのだという。様々な不思議をはらんだ生き物のひとつだなと思うが、その密やかな地獄は罠としての恐ろしさを秘めながらたいていしんと静かで、アリジゴク自身は長い時間を巣の底で過ごしている。そう思うとうすむらさきの夕風も、これから訪れる闇を誘うようなぞわりとした風に思えてくる。『青山河』(2013)所収。(今井肖子)


May 0952014

 新緑や人の少なき貴船村

                           波多野爽波

船は京都の地名。貴船山と近隣の鞍馬山に挟まれた渓谷には、料理旅館が建ち並ぶ。夏には貴船川沿いに川床料理が供され、納涼客の客足が伸びる。爽波のことである。貴船での川床遊びを体験したこともあったに違いない。ところが、時期を違えて、夏の初め、新緑の頃、訪れた貴船は閑散としていた。人の少ない貴船村とは、意外な事実。ことばの抑制が効いている佳句である。『鋪道の花』(昭和31年)所収。(中岡毅雄)




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