April 282014
すぐ座ると叱られている四月尽
長嶋 有
叱られているのは、たとえば新入社員。与えられた仕事がすむと、すぐに席に戻って座ってしまう。叱る側からすれば、隙あらばさぼろうとしているように見えるから叱るわけだが、新入社員から言わせれば、他に何をしてよいかが分からないから自席で待機するのだということになる。しかし先輩にそう口答えするわけにはいかないので、黙っていると、「少しは気を利かせたらどうだ」とまた叱られる。この「座る」はむろん手抜きにつながる行為の象徴であって、新入社員の一挙手一投足が、とにかく先輩社員のイライラの種になる時期がある。そして、そんなふうに過ごしてきた四月もおしまいだ。昔はここから五月病になる若者も多かったが、最近はどうなんだろう。ああ、私にも覚えがあるが、本当にすまじきものは宮仕えだな。『春のお辞儀』(2014)所収。(清水哲男)
April 272014
漫画読む鬚の青年めかり時
沢木欣一
めかり時は晩春の季語。蛙(かわず)の目借時を縮めた言い方です。蛙が人の目を借りるから春は眠気をもよおすという俗説で、戯画的な季語です。掲句の鬚の青年は、文学青年かアーティスト風か、一見高尚な面立ちながら漫画に集中している、そのギャップに着眼しています。作者は東京芸大の国語教師だったので、後者を揶揄(やゆ)しているのかもしれません。句集発行は昭和58年で、漫画の文化的な価値は日本でも世界でも現在ほど評価されていなかった時代です。だから、アーティスト風情が漫画なんかを読んでいたら蛙に目を持っていかれるぞ、という警告なのかもしれません。しかし、「めかり時」という季語自体が戯画的なので、句全体を晩春の気候のように青年の鬚すらおだやかに包んでいます。なお、句集にはもう一つ「飽食の昭和後代めかり時」があり、こちらはかなり警句的です。『遍歴』(1983)所収。(小笠原高志)
April 262014
珊瑚咲く海へ染まりに島の蝶
小熊一人
何年か前にも同じことを思った気がするのだが、蝶にあまり出会わない。いかにも麗らかな春の日が少ないからだろうか。そうこうするうちに春は行きつつあり、ぐんぐんと緑が育ってきたこのところである。この句の蝶は島の渚から珊瑚の海へ、染まりながら消えていく。珊瑚は動物だが碧い海にまさに咲いている、とは沖縄の美しい海ならではだろう、『沖縄俳句歳時記』(1985・那覇出版社)から引いた一句。海と珊瑚と蝶、明るく美しい色彩だが、蝶はやがて珊瑚の海で永遠に眠ることを知っているかのように感じている作者、春を惜しむかすかな淋しさがそこにある。(今井肖子)
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