April 252014
やどかりの中をやどかり走り抜け
波多野爽波
やどかりは、巻貝の貝殻に体を収め、貝殻を背負って生活する。やどかりが何匹かいる中、一匹だけ群れの中を走り抜けたというのだ。単純な写生句のようにも見えるが、作者の細かな観察眼が光っている。やどかりという愛らしい小動物が動く様を思い浮かべてみると、愛らしさと同時に、そこはかとないオカシミが伝わって来る。『一筆』(平成2年)所収。(中岡毅雄)
April 242014
風車売居座る警備員囲む中
榮 猿丸
行楽で賑わう公園の近辺に「物売り禁止」の看板があちこちにかかっている。隅々まで管理の行き届いた都会では「街角の風を売るなり風車」と三好達治が詠んだ牧歌的光景なんてない。しかし、この句にある滑稽な哀感は今の時代ならではのもの。囲まれてだんだんと意地になってくる風車売。力づくでどかすわけにもいかず、顔を見合わす警備員の困惑ぶりを考えると何となくおかしい。どんなトラブルも少し距離をおいてみると戯画的な要素を多分に含んでいる。ささいなことなのに「まあいいじゃない」と流せないのは、今の世の中が杓子定規で余裕がないせいだろうか。そんな思惑をよそにからから回る風車。このあと風車売りはどうなったのだろう。『点滅』(2013)所収。(三宅やよい)
April 232014
ゆく春やあまき切手の舌ざはり
吉岡 実
俳句のシロートには「ゆく春や」で、何十句も出来そうな気がしないでもない。いっちょうやってみるか……冗談はよせよせ。切手は糊や水を用いるなど、一定の貼り方があるわけだが、舌でぺろりとなめてぺたんと貼るーーこれが一番いいと私は思うし、実践している。気取っていなくて手っ取り早い。お行儀は悪いけれど、不潔でしょうか? 切手の糊はもちろん「あまい」わけではないが、手紙の内容によっては「にがい」場合もあるだろう。晩春のころに、誰に出す手紙かは知らないけれど、行く春をそっと惜しむうっすらとした感傷のこころが読みとれる。同時にいい加減な手紙ではなく、気持ちのこもった手紙であろうと想像される。「あまき」を味ではなく、下五「舌ざはり」と受けたところに、吉岡実の抜群の感性がみごとに生かされている。あの鋭い目つきの詩人が、切手をぺろりとなめている図に強い興味をおぼえる。とりわけメイルやファックスなどがなかった時代のことを、考えさせてくれる傑作である。参考までに、吉岡実にはこんな短歌があるーー「舌ざはり惜しみ白き封筒に火蛾の情慾を入れて貼り投凾す」。先ほど82円と52円の切手をなめてみたが、決して「あまく」はない。吉岡実には春の句が多い。「人形の胸ひややかにゆく春や」「春愁や瞼のうらのなまぬるき」。『赤鴉』(2002)所収。(八木忠栄)
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