オバマの土産は期待できない。で、安倍は何をもたせるのか。(哲




2014ソスN4ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2442014

 風車売居座る警備員囲む中

                           榮 猿丸

楽で賑わう公園の近辺に「物売り禁止」の看板があちこちにかかっている。隅々まで管理の行き届いた都会では「街角の風を売るなり風車」と三好達治が詠んだ牧歌的光景なんてない。しかし、この句にある滑稽な哀感は今の時代ならではのもの。囲まれてだんだんと意地になってくる風車売。力づくでどかすわけにもいかず、顔を見合わす警備員の困惑ぶりを考えると何となくおかしい。どんなトラブルも少し距離をおいてみると戯画的な要素を多分に含んでいる。ささいなことなのに「まあいいじゃない」と流せないのは、今の世の中が杓子定規で余裕がないせいだろうか。そんな思惑をよそにからから回る風車。このあと風車売りはどうなったのだろう。『点滅』(2013)所収。(三宅やよい)


April 2342014

 ゆく春やあまき切手の舌ざはり

                           吉岡 実

句のシロートには「ゆく春や」で、何十句も出来そうな気がしないでもない。いっちょうやってみるか……冗談はよせよせ。切手は糊や水を用いるなど、一定の貼り方があるわけだが、舌でぺろりとなめてぺたんと貼るーーこれが一番いいと私は思うし、実践している。気取っていなくて手っ取り早い。お行儀は悪いけれど、不潔でしょうか? 切手の糊はもちろん「あまい」わけではないが、手紙の内容によっては「にがい」場合もあるだろう。晩春のころに、誰に出す手紙かは知らないけれど、行く春をそっと惜しむうっすらとした感傷のこころが読みとれる。同時にいい加減な手紙ではなく、気持ちのこもった手紙であろうと想像される。「あまき」を味ではなく、下五「舌ざはり」と受けたところに、吉岡実の抜群の感性がみごとに生かされている。あの鋭い目つきの詩人が、切手をぺろりとなめている図に強い興味をおぼえる。とりわけメイルやファックスなどがなかった時代のことを、考えさせてくれる傑作である。参考までに、吉岡実にはこんな短歌があるーー「舌ざはり惜しみ白き封筒に火蛾の情慾を入れて貼り投凾す」。先ほど82円と52円の切手をなめてみたが、決して「あまく」はない。吉岡実には春の句が多い。「人形の胸ひややかにゆく春や」「春愁や瞼のうらのなまぬるき」。『赤鴉』(2002)所収。(八木忠栄)


April 2242014

 足跡の中を歩いてあたたかし

                           高橋雅世

跡が見えるということはアスファルトなど都会の道路ではないようだ。土に刻まれた足跡には、雑踏に感じる圧迫感と異なり、かすかな気配だけが残される。この道を自分よりほかに同じように歩いた人がいる。あるいは人ではなく、動物のものかもしれない。見ず知らず同士の生活の軌跡が一瞬ふと触れ合う。あたたかな日差しに包まれ、現在と過去が交錯する瞬間、記された足跡のひとつひとつから体温のぬくもりが発しているように思われる。掲句では足跡(あしあと)と読ませると思うが、足跡(そくせき)とも読むことを思うと、意味は一層深くなる。〈林から飛び出してゐる木の芽かな〉〈横顔のうぐひす餅をつまみたる〉『月光の街』(2014)所収。(土肥あき子)




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