阪神応援ボードに「5MES」というのがあった。判じ物ですな。(哲




2014ソスN4ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1342014

 海より低き村より晩鐘春鷗

                           村田 脩

実にはちょっとあり得ない空間です。さらに、七七五の破調が異世界へいざないます。しかし、写生句です。句集では一句前に「行春や落書多き街に雨」があり、この前書が「アムステルダム」です。なるほど、オランダの旅の連作の一つとわかり、「海より低き村」は干拓地でした。わかってみてあらためて、作者がこの場所に立っている驚きが伝わります。海抜0mという感覚は、知識はもとより身体感覚には絶対的な基準値として設定されているはずで、それ以下のマイナス地点は地上ではあり得ないという常識があります。ところで、絵画ならだまし絵とかトリックアートなど、錯視を利用した手法があります。立体なら、荒川修作の「養老天命反転地」のように、遠近法の狂った空間内を歩くことによって平衡感覚を狂わせる作品があります。私もこの類いの空間に遊んだとき、酔いと吐き気に似た頭痛を感じた経験があります。たぶん、人間の空間感覚は、知識と経験に基づいてかなり保守された身体感覚として培われているのでしょう。あらためて掲句を読み返すと、日本の地理的条件ではほとんどあり得ない海抜0m以下の村を、海が見えている地点から見下ろした新鮮な驚きが伝わってきます。教会の晩鐘が下方から広がり届き、音が、海より低い村の実在を伝えています。オランダは海鳥が多いと聞きますが、「春鷗」の語感には欧風を感じます。『破魔矢』(2001)所収。(小笠原高志)


April 1242014

 蘖や涙に古き涙はなし

                           中村草田男

(ひこばえ)は、切り株や木の根元から伸びる若芽をいい、孫(ひこ)生えの意、とある。切り株が古くて固いほど、若々しい新芽の緑が鮮やかな生命力を感じさせて春らしい言葉だ。涙はいつも生まれたてなのはわかっていることなのだが、こういう句は、はっとさせられてあらためてなるほどなあ、と納得する。泣くことがストレスを発散させるという研究もあるとか、映画は確実に泣ける映画を泣くために観にいく、という知人もいるが、本来は思わず昂ぶった感情が形になってあふれるものだ。蘖の明るさに、作者のまなざしの優しさが垣間見える。また、下五の音を整えようとして、涙なし、とすると途端に間が抜けてしまう。何が大切なのか、あらためて考えさせられた句でもある。『銀河依然』(1949)所収。(今井肖子)


April 1142014

 家ぢゆうの声聞き分けて椿かな

                           波多野爽波

の声は妻の声。この声は長男の声。この声は次男の声。家族の誰かを、声だけで判断している。声だけ聞けば、誰だか分かるのだ。庭には、椿の花が開いている。家中の声を聞き分けるという行為と、椿との関連性を説明することは難しい。ただ、家の内と家の外という空間のバランスが取れていることは確かである。あと、あえて言えば、あの真紅の花びらを開いている椿自体が、声を聞き分けているという幻覚を、瞬時、感じさせてくれる。もちろん、そうした解釈は誤りであり、椿はただ咲いているだけなのだが、幻覚の余韻が漂っている。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)




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