このところ朝夕と日中の気温差がありすぎる。こたえるなあ。(哲




2014ソスN4ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1042014

 ペンギンのやうな遠足ペンギン見る

                           仲 寒蟬

前ペンギンのコーナーでペンギンたちを見ているとき、そばでお化粧をしていた人のコンパクトの光がペンギンの岩場にちらちら当たった。すると、あちこち逃げるその光を追ってペンギンたちが連なってちょこちょこ駆けはじめた。一匹がプールに飛び込むと次々に続く。ペンギンって団体行動なんだ、とそのとき思った。幼稚園か小学校低学年の遠足か、ちっちゃい子供たちが手をつなぎあってやってくる。柵の向こう側にいるペンギンたちと同じようにちょこちょこ連なって。ペンギンを見ているのか、ペンギンに見られているのか。ペンギンも子供たちもたまらなく可愛い。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)


April 0942014

 いつの間に昔話や春灯(はるともし)

                           塚田采花

夏秋冬、灯りはそれぞれに明るいとはいえ、ニュアンスに微妙なちがいがある。とりわけ春の灯りは明るく暖かく感じられるはずである。作者は越後の人であるから、雪に閉じ込められていた永い冬からようやく抜け出しての春灯は、格別明るくうれしく感じられるのである。夜の団欒のひととき、尽きることのない語らいは、ある時いつの間にか昔話にかわっていたのであろう。家族ならお婆ちゃん、他での集まりなら長老が昔話をゆっくり語りだす。もう寒くもなく、みんな真剣になって耳傾けているなかで、灯りが寄り集まった人たちを、まろやかに照らし出している様子がうかがえる。雪国育ちの筆者も子どもの頃、親戚のお婆ちゃんにねだって、たくさんの昔話を聞いたものである。きまって「昔あったてんがな…」で始まり、「…いきがぽーんとさけた」で終わった。「もっと、もっと」とせがんだものである。采花の他の句に「一つの蝶三つとなりし四月馬鹿」がある。『独楽』(1999)所収。(八木忠栄)


April 0842014

 狛犬の尾の渦巻けり飛花落花

                           天野小石

社の参道に入ると両脇に置かれる狛犬の起源は、エジプトやインドの獅子が中国を経て伝来したとされる。仁王像同様、二体は阿吽のかたちを取り、筋骨隆々、痩せ形、巻き毛と姿態も大きさもさまざまである。掲句の狛犬は尾にも渦を持つタイプ。渦巻きは燃え立つ炎を思わせ、全身に立体感があり、雄々しいタイプの狛犬だ。そのいかめしい狛犬に桜が降りしきる。一斉に咲く桜は満開の日から飛花落花が始まる。風雨にさらされ通しの狛犬も、一年のうちのほんの数日は、こうして花にまみれることもあるかと思うと、ふと安らかな思いにもとらわれる。体中に桜の花びらをまとわりつかせた様子は、唐獅子牡丹ならぬ、狛犬桜とでもいうような豪奢な景色だろう。桜吹雪がやわらかく触れるなかで、歯を見せる狛犬がなんとなく笑っているようにも見えてくる。『花源』(2011)所収。(土肥あき子)




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