睡眠不足でもないのに睡魔に襲われる。春ですなあ。齢ですねえ。(哲




2014ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742014

 沢蟹に花ひとひらの花衣

                           矢島渚男

蟹は、別名「シミズガニ」と言われる。水がきれいな渓流や小川に棲息しているからだ。子どものころは近所に清水の湧き出る流れがあって、井戸のない我が家は、そこから飲料水や風呂の水などを汲んできて使っていた。当然のごとく、そこには沢蟹が棲んでいて、句の情景も日常的に親しいものだった。むろん子どものことだから「花衣」にまでは連想が及ばなかったけれど……。この句は一挙に、私を子供時代の春の水辺に連れていってくれる。何があんなに私の好奇心を誘ったのだろうか。この沢蟹をはじめとして川エビやメダカなどの小さな魚たち、あるいはタニシやおたまじゃくし、そして剽軽なドジョウの動きなどを、学校帰りに道草をして、飽かず眺めたものだった。忘れもしない、小学校の卒業式からの帰り、小川を夢中でのぞき込んでいるうちに、いちじんの風が傍らに置いておいた卒業証書をあっという間に下流にまでさらっていったことを。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


April 0642014

 峰の湯に今日はあるなり花盛り

                           高浜虚子

本最古と言われる和歌山県湯の峰温泉に句碑があります。熊野古道につながる湯の峰王子跡です。熊野詣での湯垢離場として名高く、一遍上人が経文を岩に爪書きした伝説が残り、小栗判官蘇生の地でもあります。句碑の脇の立て板にはこう記されています。「先生は昭和八年四月九日初めて熊野にご来吟になり、海路串本港に上陸され潮の岬に立ち寄られてその夜は勝浦温泉にお泊まりになり、十日那智山に参詣『神にませばまこと美はし那智の滝』と感動され新宮市にご二泊。翌十一日にプロペラ船で瀞峡を経て本宮にお着きになり、旧社跡から熊野巫神社に参詣された後、湯の峰温泉の『あづまや』に宿られて私どもと句会をしこの句を作られました。十二日に中辺路から白浜温泉に向われたのであります。途中野中の里にて『鶯や御幸ノ輿もゆるめけん』とお残しになられました。先生は昭和二十九年十一月、文化勲章を受賞されましたが、同三十四年四月八日八十四歳で逝去されました。 昭和五十五年七月 先生にお供した福本鯨洋 記」。名湯と花盛りと、虚子を慕って集った人々と、その喜びが「今日はあるなり」に集約された挨拶句です。なお、「湯の峰」を「峰の湯」としたのは、地名よりも場所を写実した虚子らしい工夫で、凡庸を避けています。(小笠原高志)


April 0542014

 花の闇静かに人の気配あり

                           今井つる女

ういう花の闇には、今やなかなか出会えない。満開の夜桜を観にちょっと出かけてみたが、都内はどこも人がひしめき合っていて桜はライトアップされている。この句は昭和五十四年作、そのころ我が家を含め三本の桜の大樹が作者の部屋の窓から見えたはずである。漆黒の闇を満開の桜が仄白く照らすともなく照らす花の夜、窓辺に居るとふと人の気配がする。その気配に花の闇はわずかにゆれ、より一層静けさを増したのだろう。静かに、と言っているのが一読した時は説明のような気がしたのだが、人の気配を静かと言うことで花の闇の静けさがより引き立つのだ思うようになった。手のひらサイズの句集『吾亦紅』(1998)、変な行き詰まり方をしてるな、と自覚した時に読む。(今井肖子)




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