昔の人は「春は曙」と言いましたが、私は「春は夕暮」派です。(哲




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April 0242014

 掃除機を掛けつつ歌ふ早春賦

                           美濃部治子

子は十代目金原亭馬生の奥さん。つまり女優池波志乃の母親である。いい陽気になってきて部屋の窓を開け放ち、掃除機を掛ける主婦の心も自然にはずんで、春の歌が口をついて出てくる。♪春は名のみの風の寒さや/谷のうぐいす歌は思えど……。掃除をしながら歌が口をついて出てくるのも、春なればこそであろう。大正2年、吉丸一昌作詩、中田章作曲によるよく知られた唱歌である。治子は昭和6年生まれの主婦だから、今どきのちゃらちゃらした歌はうたわなかったかもしれない。考えてみれば、落語家の家のことだから、掃除は弟子たちがやりそうなものだが、馬生夫婦は弟子たちには、落語家としての修業のための用しかさせないという主義だった。だから家のことはあまりやらせなかったというから、奥さんが洗濯や掃除をみずからしていたのだろう。志乃さんがそのことを証言している。いかにも心やさしかった馬生らしい考え方、と納得できる。治子は黒田杏子の「藍生」に拠っていたが、平成18年に75歳で亡くなった。春の句に「職業欄無に丸をして春寒し」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)


April 0142014

 炊飯器噴き鳴りやむも四月馬鹿

                           石川桂郎

じめちょろちょろ中ぱっぱ、が済んだあたりの炊飯器。激しく出していた蒸気が落ち着いた頃だろう。手順が口伝されるほど手がかかったご飯炊きに、自動炊飯器が登場したのは1956年。誰が世話するでもなく炊ける炊飯器に主婦はどれほど歓喜したことだろう。一方、世の男性諸氏は妻とは少し違う見方をしていたようだ。掲句の作者も炊飯器に対して働き者へのねぎらいよりも、いまいましさすら感じているかに思わせるのは、四月馬鹿の季語を斡旋したことでも表れている。妻の労働を軽減することが、すなわち家庭をおろそかにするのではないかという不安につながっているのは、なんともかわいらしくもある。さて、四月馬鹿の今日は、罪のない嘘で笑い合うことが許される不思議な風習。この日は毎年さまざまな企業がジョークのセンスを競っているが、昨年は讃岐うどんチェーン店「はなまる」のホームページ「新メニュー:ダイオウイカ天(要予約)87,000円」に思わず笑ってしまった。時事を上手に取り入れるところが腕の見せどころ。だますのは午前中、午後には種明かしということもお忘れなく。「現代俳句全集 3」(1959・みすず書房)所載。(土肥あき子)


March 3132014

 日陰雪待伏せのごと残りをり

                           矢島渚男

の陽光が降り注ぐ道を気持ちよく歩いているうちに、その辺の角を曲がると、いきなり日陰に消え残った雪にぶち当たったりする。たいていは薄汚れている。そんなときの気持ちは人さまざまであろうが、私はなんだか腹立たしくなる。子供のときからだ。消え残った雪に何の責任もないとはわかっていても、むかっとくる。せっかくの春の気分が台無しになるような気がするからだ。このときに「待伏せのごと」という措辞は、私の気持ちを代弁してくれている。「待伏せ」という行為は、まず何を目論むにせよ、人の気持ちの裏をかき意表をつくことに主眼がある。しかも執念深く、春の陽気とは裏腹の陰険なふるまいである。だから、待伏せをされた側ははっとする。はっとして、それまでの気分をかき乱される。いやな気分に落しこまれる。「日陰雪」ごときで何を大げさなと言われるかもしれないが、句の「待伏せ」は、そんな大げさをも十分に許容する力を持っている。説得力がある。『延年』(2002)所収。(清水哲男)




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