四月になりました。今日の甲子園は準決勝、全国的には消費増税。(哲




2014ソスN4ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0142014

 炊飯器噴き鳴りやむも四月馬鹿

                           石川桂郎

じめちょろちょろ中ぱっぱ、が済んだあたりの炊飯器。激しく出していた蒸気が落ち着いた頃だろう。手順が口伝されるほど手がかかったご飯炊きに、自動炊飯器が登場したのは1956年。誰が世話するでもなく炊ける炊飯器に主婦はどれほど歓喜したことだろう。一方、世の男性諸氏は妻とは少し違う見方をしていたようだ。掲句の作者も炊飯器に対して働き者へのねぎらいよりも、いまいましさすら感じているかに思わせるのは、四月馬鹿の季語を斡旋したことでも表れている。妻の労働を軽減することが、すなわち家庭をおろそかにするのではないかという不安につながっているのは、なんともかわいらしくもある。さて、四月馬鹿の今日は、罪のない嘘で笑い合うことが許される不思議な風習。この日は毎年さまざまな企業がジョークのセンスを競っているが、昨年は讃岐うどんチェーン店「はなまる」のホームページ「新メニュー:ダイオウイカ天(要予約)87,000円」に思わず笑ってしまった。時事を上手に取り入れるところが腕の見せどころ。だますのは午前中、午後には種明かしということもお忘れなく。「現代俳句全集 3」(1959・みすず書房)所載。(土肥あき子)


March 3132014

 日陰雪待伏せのごと残りをり

                           矢島渚男

の陽光が降り注ぐ道を気持ちよく歩いているうちに、その辺の角を曲がると、いきなり日陰に消え残った雪にぶち当たったりする。たいていは薄汚れている。そんなときの気持ちは人さまざまであろうが、私はなんだか腹立たしくなる。子供のときからだ。消え残った雪に何の責任もないとはわかっていても、むかっとくる。せっかくの春の気分が台無しになるような気がするからだ。このときに「待伏せのごと」という措辞は、私の気持ちを代弁してくれている。「待伏せ」という行為は、まず何を目論むにせよ、人の気持ちの裏をかき意表をつくことに主眼がある。しかも執念深く、春の陽気とは裏腹の陰険なふるまいである。だから、待伏せをされた側ははっとする。はっとして、それまでの気分をかき乱される。いやな気分に落しこまれる。「日陰雪」ごときで何を大げさなと言われるかもしれないが、句の「待伏せ」は、そんな大げさをも十分に許容する力を持っている。説得力がある。『延年』(2002)所収。(清水哲男)


March 3032014

 葱抜くや春の不思議な夢のあと

                           飯田龍太

は、眠っている間に数回は夢を見ているそうです。しかし、目覚めた後におぼえている夢はせいぜい一つで、それもしばらくすると雲散霧消、跡かたもなく消えてしまいます。掲句の「不思議な夢」とはどんな夢だったのか。誰もが筆舌に尽くし難い夢を見たことがあるでしょう。夢は飛躍するものであり、また省略されるものです。これは、すぐれた俳句と共通します。日頃から句を追究している作者は、夢の中に心ひかれる映像を見たのでしょう。それが何だったのか、「不思議な」としか形容できません。ただ、そんな夢を見た実感はたしかに残っていて、たとえば、映画を観た後に放心状態でエンドロールを眺め続けているようなスクリーンから抜けきれない状態が起床後も続いていて、作者は朝しばらくの間、どこか夢遊病のように過ごしていたのではないでしょうか。しかし、畑に出て葱を抜いて、突然我にかえります。「葱抜くや」は目覚め。夢の余韻をすっぱりと切る初句です。『今昔』(1981)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます