「サイタ サイタ サクラガ サイタ」。昔の小一国語教科書。(哲




2014ソスN3ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2632014

 夜明けまづ山鳩鳴けり弥生尽

                           瀧井孝作

い寒いと言っているうちに、3月も終わる。今冬は異常気象と騒がれた日本列島、それでもようやく花は咲きはじめ、桜前線は北上している。山里か村里か、本格的な春をむかえた夜明け方、いち早く山鳩が一日のはじまりを告げるように低く鳴く。本格的な春=花の時節になって、あたりは活気をとり戻す。まだ「春眠暁を覚えず……」の季節だが、山鳩の声でやおら眠りから覚めた人のこころにも、春は遠慮なく踏みこんでくる。山鳩の一声につづいて、あたりにはさまざまな生命の音・生活の息吹が徐々に立ちあがってくるーーそんな光景を予感させてくれる句である。句作を多くした孝作には、「ビルディングみな日向なり暮れ遅き」「海苔あぶる手もとも袖も美しき」などの春の句がある。『瀧井孝作全句集』(1974)所収。(八木忠栄)


March 2532014

 トウと言ふ母の名前や花山椒

                           植竹春子

変わりな名付けもめずらしくなくなった昨今だが、さすがに彷徨君や彼方ちゃんはなんと読んでよいものか首を傾げてしまう。それでも親が子を思い苦心惨憺した末に付けた名だということは確かだろう。振り返れば、明治生まれのわたしの祖父の名は弁慶だった。兄ふたりが夭逝したため、強い名を求めた結果だが、この名のためなにかと苦労も多かったようだ。一方、大正生まれの祖母は菊の季節に生まれたのでキク。大正時代あたりまで女性はカタカナで二〜三文字の名が多かった。掲句のトウさんも、おそらく十人目の子であったとか、ごくあっさりした理由によるものだろう。男性、ことに長男の名の手厚さに比べるとあまりのそっけなさに当時の男子優勢を見る思いがする。しかし、子どもにとって親の名とは呼ぶことのない名でもある。母という存在に固有の名のあることで、自分から遠ざかってしまうような心細さも覚えるのだ。花山椒が過ぎ去ったあの頃の生活の匂いを引き連れ、胸をしめつける。〈歌うたふやうに風船あがりけり〉〈瞬きをしてたんぽぽをふやしけり〉『蘆の角』(2014)所収。(土肥あき子)


March 2432014

 春風の真つ赤な嘘として立てり

                           阪西敦子

者の意識には、たぶん虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」があるのだと思う。これはむろん私の推測に過ぎないが、作者は「ホトトギス」同人だから、まず間違いはないだろう。二句を見比べてみると、大正期の自己肯定的な断言に対して、平成の世の自己韜晦のなんと屈折した断定ぶりであることよ。春風のなかに立つ我の心象を、季題がもたらすはずの常識通りには受けとめられず、真っ赤な嘘としてしか捉えられない自分の心中を押しだしている様子は、いまの世のよるべなさを象徴しているかのようだ。しかしこの句の面白さは、そのように言っておきながらも、どこかで心の肩肘をはっている感じがあるあたりで、つまり虚子の寄り身をうっちゃろうとして、真っ赤な嘘を懸命に支えている作者の健気が透けて見えるところに、私は未熟よりも魅力を感じたのだった。「クプラス(ku+)」(創刊号・2014年3月)所載。(清水哲男)




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