東京の夜空が真っ赤に焼け焦げた日。いまでもあの色を覚えている。(哲




2014ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032014

 三月十日も十一日も鳥帰る

                           金子兜太

句で「厄日」といえば九月一日関東大震災の日を指すことになっているが、この日を厄日と呼んだのは、私たちはもうこれ以上の大きな災厄に見舞われることはないだろうという昔の人の気持ちからだったろう。そうでないと、いずれ歳時記は厄日だらけになってしまうし……。ところが、関東大震災以降にも、人災天災は打ち止めになることはなく、容赦なく人間に襲いかかってきた。掲句の「三月十日」は東京大空襲の日であり、「三月十一日」は三年前の東日本大震災の起きた日だ。残念ながら、厄日は確実に増えつづけている。しかし人間にとってのこうした厄日とは無関係のように、渡り鳥たちは何事もなかったかのごとく、遠い北国に帰って行く。彼らにはたぶん必死の旅であるはずだが、災禍の記憶のなかにある人間たちは、飛んでゆく鳥たちを眺めてその自由さを羨しく思ったりするのである。だが人間と自然との関係は、人間側の勝手な思い込みだけでは、上手に説明できないだろう。これは永遠の課題と言えようが、作者はそのことを人間の側に立ちながらも冷静に見つめている。「海程」(2011年10月号)所載。(清水哲男)


March 0932014

 集つて散つて集まる蕨狩

                           宇多喜代子

ジオ体操のような句の作りです。前半の動作が後半でくり返されるところが似ています。このように感じるのは、日本的な集団主義のおかしさがみてとれるからでしょう。仲間同士か町内会の行事か、参加者を募って車を手配し、蕨山まで団体行動をとる。ここまでの手配と段取りは、律儀な幹事が取りまとめ、参加者はそれに従います。しかし、「散つて蕨狩」をする段になると、狩猟採集本能がよみがえってきて、我先に蕨を獲得しようと躍起になる者もあらわれます。日本人は、このように自然と向き合うときに、集団から解放された自身にたちかえられるのかもしれません。しかし、集合の時間になると、皆整然と集まり、一緒に来た路を帰ります。この行動様式は、小学校の遠足にも似ているし、大人のツアー旅行にも似ています。句会も吟行も同様です。掲句がもつ、集合と拡散と集合の運動に、読む者をほぐすおかしみがあるのでしょう。『記憶』(2011)所収。(小笠原高志)


March 0832014

 啓蟄や土まだ知らぬ嬰の足

                           吉田一郎

どりごの手足は、小さいのにちゃんと手足という当り前のことも含め、限りなく愛おしい。目の前に置かれたそんな手足を見つつふと自分の足に目をやれば、長きにわたり大地を踏みしめ自重を支え続けてきた我が足は逞しく、足の裏は固い。この子もやがて自分の足で立ち様々なことの待つ人生を歩いていくのだ、と思うとより愛おしさが増すのだろう。雛を納めると啓蟄。最低気温が五度を下回らなくなるとそちこち冬眠から覚めるらしいが、週間予報を見ても東京ですらまだまだ寒い。この先、冬と夏が長くなり春と秋は短くなっていく、などという説もありやれやれだが、それでも日々明るい何かを待ちながら過ごす三月である。『未来図歳時記』(2009・ふらんす堂)所載。(今井肖子)




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