↓体操(?)しながら歩いている人。奇声を発するでもなく無言で。(哲




2014ソスN3ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0432014

 鶯を鶯笛としてみたし

                           西村麒麟

話ではなにかにつけ美しい声が重宝された。人魚姫は声と引替えに人間の足をもらい、塔の上のラプンツェルは狩りをしていた王子の耳に歌声が届いた。王を死神から守ったのは小夜啼鳴(ナイチンゲール)の囀りであり、小夜啼鳴の別名は夜鳴鶯である。日本に生息する鳴き声が特に美しいとされる三鳴鳥は鶯、大瑠璃、駒鳥だそうだが、ことに鶯は古くから日本人に愛され、江戸時代には将軍家に特別に鶯飼という役職があったほどだ。掲句にも鶯の鳴き声に聞き惚れ、その囀りに惑わされた人間の姿が見えてくる。鶯を飼いならすには収まらず、笛として独占したいという作者に、魅了された者の悪魔的な展開が予感される。『鶉』(2014)所収。(土肥あき子)


March 0332014

 机除け書物除け即雛の間

                           中村与謝男

日の住宅事情では、昔の映画などに出てくるような特別な雛の間を作ることは難しい。それに雛本体はさして大きくなくても、かざるとなればかなりのスペースが必要だ。したがって、句のように机をずらしたり積んである本を片づけたりということになる。句集から推測すると、この雛飾りは一歳を迎えた娘さんのためのものらしい。親心が読者にも沁みてくる。我が家にも娘がいるのだけれど、どういうわけか雛に限らず人形全般が嫌いだったため、こうした苦労はせずにすんだ。しかし何も飾らないのも親として寂しいので、毎年小学館の学年雑誌の付録についてきた紙のお雛さまを、テレビの上にちょこんと乗せておいたのだった。人生いろいろ、雛飾りもいろいろである。『豊受』(2012)所収。(清水哲男)


March 0232014

 雛の間の無人の明るさの真昼

                           林田紀音夫

もいない雛の間の真昼。赤い雛壇に、白い顔の殿方と姫君が座っています。笛や太鼓や箏などの楽器と、黒い漆塗りの器が細やかに配置されていると、静寂の中に華やぎがあります。真昼の雛の間には、作者と人形たち以外は誰もいない。その明るさを詠まれる雛たちは幸せです。掲句は、昭和63年、作者64歳の作。しかし、昭和49年に上梓された第二句集『幻燈』を読むと、つねに亡き人の存在が見え隠れしていた苦悩を辿ることができます。「風の流れにつねにひらたく遺体あり」「海のまぶしさ白骨の人立ちあがり」「水平線藍濃く還れない戦死者」(これは、「愛国」を掛けているのか?)「抽斗(ひきだし)いっぱいの遺影軒には鳩ねむり」。みずからも昭和20年の春、最後の現役兵として入営した記憶を忘れることができません。例句もふくめて、この頃までの句作の多くが無季破格です。戦争の記憶には、有季定型には納まりきらない不条理があると推察します。しかし、それから歳月を経て掲句では、平明の境地を獲得しています。「雛の灯を消してひとりの夜に戻す」も。『林田紀音夫全句集』(2006)所収。(小笠原高志)




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