大雪で31都道府県に農作物被害。判明分だけで270億円と。(哲




2014ソスN2ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2022014

 春の闇自宅へ帰るための酒

                           瀬戸正洋

いていると、仕事や自分の不甲斐なさ、同僚や上司の言動などに腹が立ち、収まりのつかないまま退社する夜もあるだろう。残業して遅くなっても、すんなり自宅へ帰る気持ちになれない。外のごたごたを家に持ち込まないため感情の捨て場が必要なのだ。酒を友にして気の置けない飲み屋で気持ちを静める。そういう読み方とは別に自宅が怖すぎて、帰れないケースだってあるかもしれない。競い合うようにみんな不機嫌。こちらの場合は火宅に帰る勢いをつけるための酒と言えようか。「春の闇」の柔らかさを思うと前者と考えたいがどうだろう。いずれにせよ酒は気を晴らすかけがえのない友であることに変わりはない。乾杯!『B』(2014)所収。(三宅やよい)


February 1922014

 湯豆腐の湯気に心の帯がとけ

                           金原亭馬生(十代目)

気をあげて徐々に煮えてくる湯豆腐。それを前にして、一杯やっている人の幸せそうな様子が伝わってくる。「湯豆腐」も「湯気」もやさしい道具だてである。また「心の帯」という表現がすばらしい。湯気が立つにしたがって、それまで自分の心を締めつけ縛りつけていた〈帯〉が、ようやくゆるんで行くという経過であろう。寄席の高座か、何かの用事が済んで、ホッとして好きな酒で気持ちを解放し、コップでちびちびやっている。煮える湯豆腐を待っている心やさしい馬生の、背を丸くしたあの姿が目に見えるようである。戦争末期、父・志ん生が満州へ行ってしまい、長男として若いうちから寄席でも生活面でも、苦労の多かった落語家である。自分の弟子は落語の弟子なのだからと、家で余計な仕事をあまりさせなかったと言われる。落語会で前座が間に合わないと、真打ちの自分が率先して出囃子の太鼓を叩いたこともあった、そういう人であった。酒肴をあれこれたくさん並べたてず、食も細く、静かに好きな酒(菊正宗)をちびちびと飲んだ。踊りの名取りであったこともあって、その高座姿、立ち居振る舞いは穏やかできれいだった。志ん生、文楽、円生をはじめとする寄席芸人たちの川柳の会「川柳鹿連会」に10年以上属していた。馬生の句はたくさんあるけれど、他に「鍋の中 話とぎれてネギを入れ」がある。石井徹也編著『十代目金原亭馬生』(2010)所収。(八木忠栄)


February 1822014

 恋猫の体つめたくして帰る

                           鳥居三朗

にも寒がりだと強調されるわりに、猫が恋を謳歌するのは一年のなかでもっとも気温が低いこの時期から始まる。なにもこんな季節にうろつかなくてもと思うのだが自然の摂理が彼らをそうさせるのだから気をもんでも仕方ない。毎年思うことだが、現代ではペットとして同格の犬と猫も歳時記のなかではずいぶんと差がついている。猫は発情期はもとより孕猫、子猫、果てはかまど猫まで季語となっているのに対し、犬はながらく人間の従者となって働く猟犬だけだった。のちに山本健吉が「冬の犬」を季語として立てたが、採用していない歳時記も多く、飛び抜けた例句も出ていないようで定着とはいえないだろう。そこへいくと発情する猫の鳴き声は猫好きでさえ迷惑に思うしろものだが、芭蕉から現在までずいぶん作品にされている。掲句の猫もようやく戻ってきた身体を撫でる飼い主の手をするりと抜けて、なにくわぬ顔で毛づくろいでもしているのだろう。『山椒の木』(2002)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます