カメラのUSBケーブル接続部がショートしたようだ。即修理へ。(哲




2014ソスN2ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1922014

 湯豆腐の湯気に心の帯がとけ

                           金原亭馬生(十代目)

気をあげて徐々に煮えてくる湯豆腐。それを前にして、一杯やっている人の幸せそうな様子が伝わってくる。「湯豆腐」も「湯気」もやさしい道具だてである。また「心の帯」という表現がすばらしい。湯気が立つにしたがって、それまで自分の心を締めつけ縛りつけていた〈帯〉が、ようやくゆるんで行くという経過であろう。寄席の高座か、何かの用事が済んで、ホッとして好きな酒で気持ちを解放し、コップでちびちびやっている。煮える湯豆腐を待っている心やさしい馬生の、背を丸くしたあの姿が目に見えるようである。戦争末期、父・志ん生が満州へ行ってしまい、長男として若いうちから寄席でも生活面でも、苦労の多かった落語家である。自分の弟子は落語の弟子なのだからと、家で余計な仕事をあまりさせなかったと言われる。落語会で前座が間に合わないと、真打ちの自分が率先して出囃子の太鼓を叩いたこともあった、そういう人であった。酒肴をあれこれたくさん並べたてず、食も細く、静かに好きな酒(菊正宗)をちびちびと飲んだ。踊りの名取りであったこともあって、その高座姿、立ち居振る舞いは穏やかできれいだった。志ん生、文楽、円生をはじめとする寄席芸人たちの川柳の会「川柳鹿連会」に10年以上属していた。馬生の句はたくさんあるけれど、他に「鍋の中 話とぎれてネギを入れ」がある。石井徹也編著『十代目金原亭馬生』(2010)所収。(八木忠栄)


February 1822014

 恋猫の体つめたくして帰る

                           鳥居三朗

にも寒がりだと強調されるわりに、猫が恋を謳歌するのは一年のなかでもっとも気温が低いこの時期から始まる。なにもこんな季節にうろつかなくてもと思うのだが自然の摂理が彼らをそうさせるのだから気をもんでも仕方ない。毎年思うことだが、現代ではペットとして同格の犬と猫も歳時記のなかではずいぶんと差がついている。猫は発情期はもとより孕猫、子猫、果てはかまど猫まで季語となっているのに対し、犬はながらく人間の従者となって働く猟犬だけだった。のちに山本健吉が「冬の犬」を季語として立てたが、採用していない歳時記も多く、飛び抜けた例句も出ていないようで定着とはいえないだろう。そこへいくと発情する猫の鳴き声は猫好きでさえ迷惑に思うしろものだが、芭蕉から現在までずいぶん作品にされている。掲句の猫もようやく戻ってきた身体を撫でる飼い主の手をするりと抜けて、なにくわぬ顔で毛づくろいでもしているのだろう。『山椒の木』(2002)所収。(土肥あき子)


February 1722014

 集合写真赤目の女冴えかへる

                           栄 猿丸

は出会いの季節であり、別れのそれでもある。何かにつけて、集合写真を撮る機会が多い。できあがってきた写真を手にして「どれどれ」と眺めてみたら、和気あいあいの雰囲気で撮ったはずの写真に、ピーンとした緊張感が漂っていた。そこに一人だけ赤い目をした女性が写っていて、原因は彼女だった。何か意表をつかれた感じで、思わずその異様な感じに緊張してしまったというところか。この赤目現象はべつにその女性の目が本来的に赤いせいで起きるのではなく、フラッシュをあてて写真を撮ると、虹彩が灰色または青い人が赤目になりやすいのだ。これは、虹彩の色が薄いとメラニン色素が少ないため、網膜に届くフラッシュの光が多くなるためである。この現象を防ぐためにいろいろな工夫がなされているが、経験上赤目になりやすい人は、撮られるときにとりあえずフラッシュの位置と正対しないように心がければ助かることが多い。『点滅』(2013)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます