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February 1722014

 集合写真赤目の女冴えかへる

                           栄 猿丸

は出会いの季節であり、別れのそれでもある。何かにつけて、集合写真を撮る機会が多い。できあがってきた写真を手にして「どれどれ」と眺めてみたら、和気あいあいの雰囲気で撮ったはずの写真に、ピーンとした緊張感が漂っていた。そこに一人だけ赤い目をした女性が写っていて、原因は彼女だった。何か意表をつかれた感じで、思わずその異様な感じに緊張してしまったというところか。この赤目現象はべつにその女性の目が本来的に赤いせいで起きるのではなく、フラッシュをあてて写真を撮ると、虹彩が灰色または青い人が赤目になりやすいのだ。これは、虹彩の色が薄いとメラニン色素が少ないため、網膜に届くフラッシュの光が多くなるためである。この現象を防ぐためにいろいろな工夫がなされているが、経験上赤目になりやすい人は、撮られるときにとりあえずフラッシュの位置と正対しないように心がければ助かることが多い。『点滅』(2013)所収。(清水哲男)


February 1622014

 飛ぶ雲の浮べる雲となりて木瓜

                           水原秋桜子

月の初旬から、毎日空を眺めて仕事をしています。現在、紀伊半島の鎮守の森と祭を撮影移動中で、風の吹き具合によって被写体の姿が変わります。熊野本宮大社の旧本殿跡地には、高さ30m程の大鳥居があって、それを真下からしばらくの間見上げていると、鳥居が徐々に動き始めたのです。立ちくらみかと思いましたが、鳥居のはるか上空を走る雲が見せた錯覚でした。春先の雲は、時に鳥よりも速く飛びます。掲句はそんな、疾風のごとく飛ぶ雲を眺めていますが、遠ざかるにつれて動きはゆるやかになり、「浮べる雲」になっていきました。句は上五から順に、速い動き、ゆるやかな動き、そして木瓜(ぼけ)の動かないたたずまいへと移行して、視点も空から地上へとゆっくり落ちています。雲の動と木瓜の静。しかし、木瓜の花びらが落ちていく動きの余韻を残しています。「水原秋桜子集」(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)


February 1522014

 春の雪波の如くに塀をこゆ

                           高野素十

前歳時記でこの句を見たとき、あまりピンと来なかった。春の雪は降ったそばから光に溶けてしまうようなイメージで、波の如く、という感じが今ひとつわからなかったからだ。そこへ先週の雪、牡丹雪というにはあまりに細かい雪の粒が止む気配もなく降り続き時折の強風にまさに、波の如く、を実感した。傘をたたんでフードをかぶり、これを吹雪って言ったら雪国の人に叱られそうだけど吹雪だね、などと言い合いながら歩いたが、やや水っぽい春の粉雪は風に乗って塀を越え屋根を越え、東京を覆っていった。溶け残った雪にいつまでも街は冷たいままだが、日差しは確実に明るくなってきている。『合本俳句歳時記』(2008・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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