東京地方などは、「三寒四温」モードに入ってきたような。(哲




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January 2912014

 生き死にの話ぽつぽつどてら着て

                           川上弘美

ういう句に惹かれるのは、こちらが齢を重ねたせいだろうな、と自分でも思う。若い人がこの句の前で立ち止まるということは、あまりないのではあるまいか。(こんな言い方は、作者に対して失礼だろうか?)それにしても「どてら」(褞袍)という言葉は、一部の地方を除いてあまり聞かれなくなった。今は「たんぜん」(丹前)のほうが広く使われている呼称のようだ。呼び方がちがうだけで、両者は同じものである。『俳句歳時記』(平井照敏編)では「広袖の綿入りの防寒用の着物。江戸でどてらと呼び、関西で丹前と呼んだが、いまは丹前と呼ぶのが普通である」と明解である。雪国育ちの私などは「どてら」と呼んでいた。何をするでもなく、お年寄りが寄り合えば、生きてきた過去の思い出、先に亡くなった仲間のことが話題になり、おのがじし溜息まじりに明日あさってのことを訥々とぽつぽつ口にのぼせながら、うつろな目つきで茶などすすっているのだろうか。「どてら」はお年寄りにゆったりとしてよく似合う。どことなくオシャレ。ここは「丹前」でなくて、やはり「どてら」だろう。弘美の同時発表の句に「球体関節人形可動範囲無限や海氷る」という凄まじい句がある。句集に『機嫌のいい犬』(2010)がある。加藤楸邨の句に「褞袍の脛打つて老教授「んだんだ」と」がある。「澤」(2014.1月号)所載。(八木忠栄)


January 2812014

 襟巻となりて獣のまた集ふ

                           野口る理

頃動物好きを肯定しながら、あらためて振り返るとアンゴラやらダウンやら、結構な数の動物たちがクローゼットに潜んでいる。幼い時分には、尾をくわえた狐の襟巻きなどもよく見かけたものだが、最近は動物愛護の観点から生前の姿そのまま、というかたちは少なくなったようだ。たしかに今見ればグロテスクと思わせるそれであるが、はたして殺生をしたうえでこのぬくもりがあるのだとはっきり自覚することも大切なのではないかとふと思う。食品も衣料も、今やなにからできているのかさだかではない時代にあって、まごうことなき狐が集う光景は、豪華というより真っ正直な感じがしていっそ心地良いように思われるのだ。『しやりり』(2014)所収。(土肥あき子)


January 2712014

 いちにちのをはり露けき火消し壷

                           石田郷子

語は「露(けき)」で秋の句なのだろうが、「火消し壷」が多用される時季の冬句としても差し支えないだろう。いまではすっかりアウトドア用品と化してしまった火消し壷も、昔は家庭の台所で重宝されていた。一日の終りに燃えさしの炭や薪を壺に入れて火を消し、また翌日の燃料として再利用する。消し炭は火がつきやすいので、朝の忙しい時間にはありがたかった。句の「露けき」は「いちにちのをはり」にかかっていると同時に、「火消し壷」にもかけられていると読んだ。火消し壷というと、たいていは灰だらけなのだけれど、句のそれは新品なのか洗い立てなのか、しっとりと露を含んだような鉄の色を見せて立っている。まことに気分がよろしい。火消し壷のそのようなたたずまいに目が行くということは、その日の作者の心の充実ぶりを暗示していると思われる。よき一日だったのだ。ところで我が家から火消し壷が消えたのは、いつごろのことだったか。思い出せない。「星の木」(12号・2014年1月20日刊)所載。(清水哲男)




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