東京地方、今日未明にかけて雪の予報。薄化粧の街が見られるかな。(哲




2014ソスN1ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1912014

 市振や雪にとりつく波がしら

                           高橋睦郎

振(いちぶり)は、新潟県糸魚川市の市振海岸。芭蕉の「奥の細道」では、ここの旅籠に一泊し、「一家に遊女もねたり萩と月」の句が残されています。冬の日本海の空は鉛色で、海も暗い灰色です。モノトーンの中の風雪は荒々しく、雪は縦に、横に、斜めに、左右に、錯綜しながら降り続けています。冬の海の全景は、一つの大きな波の音にまとめることができ、上五のbu、下五のgaといった濁音で構成された音でしょう。それは、初めのうちは襲いかかってくるような恐ろしい音ですが、そのような恐怖もしばらく佇んでいると慣れてきて、心を洗い流す禊ぎのように作用します。波の音に全身を没入しているうちに、詩人は「波がしら」を凝視し始めます。これが、「雪にとりつく」獰猛な生き物に見えてくる。波がしらは、雪にとりつくゆえ、それをのみ込み一瞬白いのか。実相観入。なお、「市振」の「ふる」と「雪」が縁語的につながっているのも、短歌をよくする詩人の技です。また、「とりつく」という擬人法によって、無生物の叙景の中に生き物が立ち現れています。他に、「面白う雪に暮れたる一日かな」。『稽古飲食』(1988)。(小笠原高志)


January 1812014

 雪月夜わが心音を抱き眠る

                           本宮哲郎

月夜、静けさに満ちた美しい言葉だ。高々と在る冬の月の白と一面に広がる雪の白、どちらも輝くというほどではない光を湛えている。そしてそれは、目を閉じて自らの鼓動を確かめながら、来し方に思いをめぐらせている作者の心の中にある光景なのだろう。句集『鯰』(2013)のあとがきに「これからも命ある限り一句初心の志で、自然を通しての生活をより豊かに、より深く詠んでゆきたいと思っております」と書かれた作者だが、昨年十二月十八日に亡くなられた。その言葉どおり、特に掲出句を含む平成二十五年の句はいずれも平明で淡々としていて深い。合掌。(今井肖子)


January 1712014

 福笑鉄橋斜め前方に

                           波多野爽波

笑の遊びをしているのは、室内。斜め前方に見えている鉄橋は、室外である。楽しげに福笑に興じている家族は、鉄橋に目を留めることもない。しかし、この句には、狂気に近い危うさが含まれている。上五「福笑」という和やかな季語は、中七「鉄橋」という無機質的な配合によって、揺すぶられる。しかも、その鉄橋は、「斜め前方」に見えている。この感覚世界は、倒錯感に近い揺らぎを読み手にもたらす。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)




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