さて、三連休。土曜日にも出社していた時代は、はるかな昔に。(哲




2014ソスN1ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1112014

 ぬるるもの冬田になかり雨きたる

                           水原秋桜子

やかな年末年始だったが、寒の入りの5日あたりからぐっと冷えこんでいる。そんなからからの東京に雨の予報、十二日ぶりだというが、この句の冬田も枯れ色に乾ききっていたのだろう。作者はかなりの時間、冬田を前に佇んでいたにちがいない、そこに雨。あ、雨、と気づくのは一瞬のことであり、それからあらためて冬田が雨に包まれていくのをじっと見ている作者である。景の広がりと共に時間の経過がこの短い一句の中に感じられるのは、冬田と雨、以外何もないからだろう。その省略が、寂寞とした冬田に自然の美しさを与えている。『秋苑』(1935)所収。(今井肖子)


January 1012014

 鶴凍てて花のごときを糞(ま)りにけり

                           波多野爽波

鶴とは、冬の最中、鶴が片脚で立ち、凍りついたように身動きもしないさまをいう。動物園では、その姿をよく見ることができる。そんな凍鶴が少し動いたかと思うと、排泄したのである。通常ならば、汚いと感じるところだろうが、爽波は、逆に、美しさを感じて、「花のごとき」と喩えている。下五の表現は、「露の虫大いなるものをまりにけり」という阿波野青畝の句が、元になっているのだろう。一方、内容的には、中村草田男の「母が家近く便意もうれし花茶垣」という句が、少なからず影響を与えていると思う。爽波は、生前、草田男のこの句について、しばしば触れていた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


January 0912014

 その前にデートせえへん?宵戎

                           児玉硝子

売繁盛のえびす様。宵戎へ出かけるのを口実に「デートせえへん」とお目当ての人に声をかける。断られても気軽に誘った分ショックも少なくてすむ。そんな気持ちも関西弁の語り口調に感じられる。宵戎の人波をくっついて歩く頃にはすっかり仲良くなって、お連れさんが別嬪な福娘に見とれたら「ちょっといいかげんにしいや」と手を引っ張ったりするんだろうか。西宮戎では宵戎の1月9日深夜12時に神社の門を閉じ、翌朝大太鼓を合図に表大門が開かれると男たちが一斉に走り出し、一番乗りが福男になる。「えべっさん」の賑わいは関西の明るさのようで、毎年懐かしく眺めている。『青葉同心』(2004)所収。(三宅やよい)




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