January 092014
その前にデートせえへん?宵戎
児玉硝子
商売繁盛のえびす様。宵戎へ出かけるのを口実に「デートせえへん」とお目当ての人に声をかける。断られても気軽に誘った分ショックも少なくてすむ。そんな気持ちも関西弁の語り口調に感じられる。宵戎の人波をくっついて歩く頃にはすっかり仲良くなって、お連れさんが別嬪な福娘に見とれたら「ちょっといいかげんにしいや」と手を引っ張ったりするんだろうか。西宮戎では宵戎の1月9日深夜12時に神社の門を閉じ、翌朝大太鼓を合図に表大門が開かれると男たちが一斉に走り出し、一番乗りが福男になる。「えべっさん」の賑わいは関西の明るさのようで、毎年懐かしく眺めている。『青葉同心』(2004)所収。(三宅やよい)
January 082014
信濃路の餅の大きさはかりけり
室生犀星
その昔、わが家で搗いた餅は硬くならないうちに、祖父がなれた手つきで切り餅にした。その切れ端をそのままナマで食べると、シコシコしておいしかった。大きさは市販の切り餅に比べるとスマートではなく、だいたい大きめだった。小学生のころ正月の雑煮餅は、自分の年の数だけ食べるよう母に言われたものである。八歳で八個、十二歳なら十二個ーー無茶な! 正月とはいえ、モノがなかった戦後の田舎のことだから、正月のおやつは餅とミカンくらいしかなかった。だから雑煮を無理やり年の数だけ食べて腹を一杯にするという、とんでもない正月を過ごしていた(昼飯抜き)。そのせいか今も餅は大好き。さて、犀星は信濃路で出された田舎の餅の大きさに驚いたのだろう。まさか物差しで大きさを実際に測ったわけではあるまいが、「都会の餅に比べて大きいなあ!」と驚いているのだ。昭和二十一年一月の作というから、戦時中に比べ食料事情が少し良くなってきた、そのことを餅の大きさで実感してホッとしているのだろう。同じ時に作った句に「切り餅の尾もなきつつみひらきゐる」がある。不思議な句である。『室生犀星句集・魚眠洞全句』(1977)所収。(八木忠栄)
January 072014
よく食べてよく寝て人日となりぬ
青山 丈
人日の起源は、古代中国の占の書からきており、一日から六日までは家畜、七日は人を占い、当日が晴なら吉、雨なら凶とされた。江戸時代では人日は公式行事となって、七草粥を食べて邪気を祓い無病息災を祈年する祝日とされた。正月の美食で疲れた胃を休める効果もあり、現在でも七草粥は正月行事の締めくくりとして風習に残る。掲句のもうはや七日と思う感慨には、ご馳走を重ね寝正月を決め込んだのちの満ち足りた心持ちとともに、明日から始まる日常のせわしさが懐かしいような恋しいような気分も含んでいる。それは浦島太郎がおもしろおかしく竜宮で過ごした日々を捨てて故郷に帰りたくなった気持ちにも似て、安穏が幸せとは限らないという人間の面白さでもある。『千住と云ふ所にて』(2013)所収。(土肥あき子)
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