久しぶりにまとまった雨の予報。からから状態から抜け出せそう。(哲




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January 0812014

 信濃路の餅の大きさはかりけり

                           室生犀星

の昔、わが家で搗いた餅は硬くならないうちに、祖父がなれた手つきで切り餅にした。その切れ端をそのままナマで食べると、シコシコしておいしかった。大きさは市販の切り餅に比べるとスマートではなく、だいたい大きめだった。小学生のころ正月の雑煮餅は、自分の年の数だけ食べるよう母に言われたものである。八歳で八個、十二歳なら十二個ーー無茶な! 正月とはいえ、モノがなかった戦後の田舎のことだから、正月のおやつは餅とミカンくらいしかなかった。だから雑煮を無理やり年の数だけ食べて腹を一杯にするという、とんでもない正月を過ごしていた(昼飯抜き)。そのせいか今も餅は大好き。さて、犀星は信濃路で出された田舎の餅の大きさに驚いたのだろう。まさか物差しで大きさを実際に測ったわけではあるまいが、「都会の餅に比べて大きいなあ!」と驚いているのだ。昭和二十一年一月の作というから、戦時中に比べ食料事情が少し良くなってきた、そのことを餅の大きさで実感してホッとしているのだろう。同じ時に作った句に「切り餅の尾もなきつつみひらきゐる」がある。不思議な句である。『室生犀星句集・魚眠洞全句』(1977)所収。(八木忠栄)


January 0712014

 よく食べてよく寝て人日となりぬ

                           青山 丈

日の起源は、古代中国の占の書からきており、一日から六日までは家畜、七日は人を占い、当日が晴なら吉、雨なら凶とされた。江戸時代では人日は公式行事となって、七草粥を食べて邪気を祓い無病息災を祈年する祝日とされた。正月の美食で疲れた胃を休める効果もあり、現在でも七草粥は正月行事の締めくくりとして風習に残る。掲句のもうはや七日と思う感慨には、ご馳走を重ね寝正月を決め込んだのちの満ち足りた心持ちとともに、明日から始まる日常のせわしさが懐かしいような恋しいような気分も含んでいる。それは浦島太郎がおもしろおかしく竜宮で過ごした日々を捨てて故郷に帰りたくなった気持ちにも似て、安穏が幸せとは限らないという人間の面白さでもある。『千住と云ふ所にて』(2013)所収。(土肥あき子)


January 0612014

 七種粥ラジオの上の国家澄み

                           須藤 徹

日早いが、「七種」の句を。ラジオを聞きながら、作者は七種粥を前にしている。万病を除くという七種粥の祝膳に向かっていると、普通の食膳に対しているときとは違い、作者はいささかの緊張感を覚えている。七種粥は味を楽しむというよりも、この神妙な緊張感を保ちながら箸をつかうことに意義がありそうだ。おりからのラジオは、今年一年の夢や希望を告げているのだろう。その淑気のようなものとあいまって、七種粥のありようも一種の神々しさを帯びて感じられる。国家も、そして何もかもが澄んでいるようだ。が、作者はかつて国家が澄んだことなど一度もないことを知っている。知っているからこそ、国家が澄んでいるのはラジオの上だけのことと、いわば眉に唾せざるを得ないのである。いや、眉に唾しておく必要を強く感じているのだ。人は誰しもが雰囲気に流されやすい。時の権力は、いつでもそこを実に巧みに突いてくる。対して、身構えることの必要を、この句は訴えている。なお、作者の須藤徹氏は昨年六月に66歳の生涯を閉じられた。合掌。「ぶるうまりん」(27号・2013)所載。(清水哲男)




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