箱根駅伝、ライスボウルをTV観戦して、正月をおしまいにする。(哲




2014ソスN1ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0312014

 本あけしほどのまぶしさ花八ツ手

                           波多野爽波

ツ手は、初冬、小さくて細かい黄白色の花を鞠状にたくさんつける。その八ツ手の花に日が当たっているまぶしさを、本を開いたくらい…と喩えている。本を開けたほどのまぶしさというのだから、燦々と輝くようなまばゆさではない。ひっそりと、かすかな光を放っているのだ。そのかすかなまぶしさに、作者は惹きつけられた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


January 0212014

 恵方から方向音痴の妻が来る

                           斉田 仁

方は「正月の神の来臨する方角」、その年の「歳徳神(とくとくしん)」のいる方角を表す。初詣はもともとその年の恵方の社寺にお参りする「恵方参り」だったそうで、本年は東北東のやや右が恵方になるという。そう言われても東西南北もろくにわからない方向音痴の妻には関係ないだろう。そんな妻が年神さまと一緒の方角からやってくる。たまたまだろうけど、何だかめでたいおかしさだ。私も、デパートに入って違う出口から出ただけでたちまち方角がわからなくなる「方向音痴の妻」の一人だけど、今日ぐらいは頑張って恵方にある社寺を探し初詣に行ってみたい。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


January 0112014

 元日の富士に逢ひけり馬の上

                           夏目漱石

れあがって、雪を頂いた富士がことさら近くに感じられるのだろう。実際は富士を遠くから眺めているのだけれど、晴れ晴れとして実際よりも距離が近くに感じられるのだ。だから、驚きと親愛感をこめて「逢ひけり」と詠んだ。この表現の仕方が功を奏している。元日の富士の偉容が晴れがましいせいだろう、対象をグンと近くに引き寄せている。「馬の上」という下五は「作者が馬に乗っている」のか、それとも「馬の背越し」に富士を眺望しているのか、両方に解釈することができる。元日のことなのだから、馬の背に颯爽と高くまたがって富士を見ている、と私は解釈したい。そのほうが元日らしくて気持ちもいい。新幹線の窓越しに眺めていたのでは、この句のゆったりとして新鮮な勢いは生まれてこない。漱石の正月の句に「ぬかづいて曰く正月二日なり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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