サッカー天皇杯を観ていたら発熱。38.8度。興奮などしなかったのに。(哲




2014ソスN1ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0212014

 恵方から方向音痴の妻が来る

                           斉田 仁

方は「正月の神の来臨する方角」、その年の「歳徳神(とくとくしん)」のいる方角を表す。初詣はもともとその年の恵方の社寺にお参りする「恵方参り」だったそうで、本年は東北東のやや右が恵方になるという。そう言われても東西南北もろくにわからない方向音痴の妻には関係ないだろう。そんな妻が年神さまと一緒の方角からやってくる。たまたまだろうけど、何だかめでたいおかしさだ。私も、デパートに入って違う出口から出ただけでたちまち方角がわからなくなる「方向音痴の妻」の一人だけど、今日ぐらいは頑張って恵方にある社寺を探し初詣に行ってみたい。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


January 0112014

 元日の富士に逢ひけり馬の上

                           夏目漱石

れあがって、雪を頂いた富士がことさら近くに感じられるのだろう。実際は富士を遠くから眺めているのだけれど、晴れ晴れとして実際よりも距離が近くに感じられるのだ。だから、驚きと親愛感をこめて「逢ひけり」と詠んだ。この表現の仕方が功を奏している。元日の富士の偉容が晴れがましいせいだろう、対象をグンと近くに引き寄せている。「馬の上」という下五は「作者が馬に乗っている」のか、それとも「馬の背越し」に富士を眺望しているのか、両方に解釈することができる。元日のことなのだから、馬の背に颯爽と高くまたがって富士を見ている、と私は解釈したい。そのほうが元日らしくて気持ちもいい。新幹線の窓越しに眺めていたのでは、この句のゆったりとして新鮮な勢いは生まれてこない。漱石の正月の句に「ぬかづいて曰く正月二日なり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 31122013

 掛け替へし大注連縄の匂ひけり

                           小西和子

年末、出雲大社の神楽殿の大注連縄が掛け替えられたが、長さ13m、重さ5トン。最後はクレーン車に力を借りながら、大人30人ほどが大蛇の腹にまといつくようにして縒り合わせていた。6〜7年に一度という出雲大社は別として、神社の注連縄は毎年氏子が力を合わせて作り、掛け替えられるものだ。注連縄はその年に収穫された新藁で作られ、一本一本適した藁しべを選んでいくことから始まる。選ばれた藁しべで藁束を作り、縒り合わせるまで全て手作業の大仕事である。藁は、清潔すぎる木の香りとも、素朴すぎる土の香りとも違う、お日さまと風が静かに息を吹きかけたような豊かな香りを持つ。注連縄という神聖な場所の入口に張られるものからふっと漂う藁の香が、まるで来る年の幸を予感させるような清々しい気分にさせる。今年も残すところ今日一日。来年も引き続きよろしくお願いいたします。〈仕上げたる大注連は地につかぬやう〉『神郡宗像』(2013)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます