今日の余白句会兼題。「柳葉魚」「義(要季語)」(今井聖出題)。(哲




2013ソスN12ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 21122013

 吹雪くなり折々力抜きながら

                           関 木瓜

森県鰺ヶ沢に住む知人から、ぜひ真冬に一度いらっしゃい、と言われているがなかなかその機会がない。雪らしい雪といえば北海道に流氷を見に行った折に出会ったくらいで、ましてや吹雪を体感したことなど皆無なのだが、この句の、力を抜く、という表現には臨場感があるように思う。ただただ吹雪いている中、風に緩急があるのだろう、それがいっそう生きものが襲ってくるような恐ろしさを感じさせる。網走に旅した時の作と思われるが、吹雪に慣れていない旅人らしい視点で作られた一句。『遠蛙』(2003)所収。(今井肖子)


December 20122013

 天ぷらの海老の尾赤き冬の空

                           波多野爽波

ぷらの海老の尾が赤いというのは、普段、誰もが目にしている。常識である。しかし、その赤い海老の尾は、下五「冬の空」と配合されることによって、モノとしての不思議な実在感を感じさせるようになる。海老の天ぷらは、当然のことながら、家の中、あるいは食堂の中に置かれている光景であろう。それに対して、冬の空は、外の光景である。この配合には、大きな飛躍がある。それでいて、天ぷらの海老の赤い尾は、あたかも、それ自体を真っ青な冬空にかざしているかのように、視覚的に強い結びつきがある。これは、嘱目の句としては作りにくい。爽波俳句は、心象風景の印象をもたらすことが、しばしばあるが、これも、そうした一句であろう。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


December 19122013

 ふゆのまちふうせんしぼむやうに暮れ

                           岡 正実

京に来て何時まで経っても慣れないのはあまりに日暮れが早いことだ。3時ごろになるともう日ざしが衰え4時過ぎると早くも薄闇がせまってくる。仕事をしていて、ふっと窓の外を見るとすっかり暗くなっていることもたびたびである。秋の落日は「つるべ落とし」というけれど、冬の日の暮れ方はどう形容したものか。掲句では、風船の空気が抜けてだんだんとしぼんでゆく様子を冬の町が暮れてゆく様に例えている。平仮名の表記とくぐもったウ音の響きが冬の頼りない暮れ方を実感させる。もうすぐ冬至、一陽来復また日が長くなっていくのが待ち遠しい。『風に人に』(2013)所収。(三宅やよい)




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