都知事選。とにかく自民候補を落さねば、やりたい放題になるぞ。(哲




2013ソスN12ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 20122013

 天ぷらの海老の尾赤き冬の空

                           波多野爽波

ぷらの海老の尾が赤いというのは、普段、誰もが目にしている。常識である。しかし、その赤い海老の尾は、下五「冬の空」と配合されることによって、モノとしての不思議な実在感を感じさせるようになる。海老の天ぷらは、当然のことながら、家の中、あるいは食堂の中に置かれている光景であろう。それに対して、冬の空は、外の光景である。この配合には、大きな飛躍がある。それでいて、天ぷらの海老の赤い尾は、あたかも、それ自体を真っ青な冬空にかざしているかのように、視覚的に強い結びつきがある。これは、嘱目の句としては作りにくい。爽波俳句は、心象風景の印象をもたらすことが、しばしばあるが、これも、そうした一句であろう。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


December 19122013

 ふゆのまちふうせんしぼむやうに暮れ

                           岡 正実

京に来て何時まで経っても慣れないのはあまりに日暮れが早いことだ。3時ごろになるともう日ざしが衰え4時過ぎると早くも薄闇がせまってくる。仕事をしていて、ふっと窓の外を見るとすっかり暗くなっていることもたびたびである。秋の落日は「つるべ落とし」というけれど、冬の日の暮れ方はどう形容したものか。掲句では、風船の空気が抜けてだんだんとしぼんでゆく様子を冬の町が暮れてゆく様に例えている。平仮名の表記とくぐもったウ音の響きが冬の頼りない暮れ方を実感させる。もうすぐ冬至、一陽来復また日が長くなっていくのが待ち遠しい。『風に人に』(2013)所収。(三宅やよい)


December 18122013

 月一つ落葉の村に残りけり

                           若山牧水

の時季、落葉樹の葉はすっかり散り落ちてしまった。それでも二、三枚の枯葉が風に吹かれながらも、枝先にしがみついている光景がよくある。あわれというよりもどこかしら滑稽にさえ映る。何事もなく静かに眠っているような小さな村には、落葉がいっぱい。寒々と冴えた月が、落葉もろとも村を照らすともなく照らし出しているのであろう。季重なりの句だが、いかにも日本のどこにもありそうで、誰もが文句なく受け入れそうな光景である。牧水が旅先で詠んだ句かもしれない。この句から「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」の名歌が想起される。作者は冬の月を眺めながら、どこぞでひとり酒盃をかたむけているのかもしれない。暁台に「木の葉たくけぶりの上の落葉かな」がある。牧水には他に「牛かひの背(せな)に夕日の紅葉かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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