ケチャップ味のポテトチップスを食べてみた。慣れないと駄目かな。(哲




2013ソスN12ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 09122013

 狐火やある日激しく老いてゆく

                           黒崎千代子

火の正体には諸説ある。遠くの山野で大量に発生し、あたかも松明を掲げた行列のように見えるというが、私は見たことがない。黒澤明の映画に夢をテーマにした作品があって、その第一話に狐の嫁入りの情景が出てきたけれど、あの行列の夜の模様と解すれば、かなり不思議であり不気味でもある。そんな狐火を見たのだろうか。作者はその途端に急激に老いてゆく自分を感じたと言うのだが、こちらのほうはうなづける気がする。普通、老いはじわじわとやってくると思われているけれど、私の実感ではある日一気に老化が進行したような気になったことが何度かある。足腰の弱りなどは、代表的な例だ。そんな肉体の衰えの不思議を狐火に結びつけた作者は、狐火に呆然とするように自分自身にも呆然としている。それが老いることの不思議であり怖さでもある。昔草森紳一が「一晩で白髪になるのだから、逆に一晩で黒髪に戻ることもあるにちがいない」と言ったが、残念なことに若返りのほうの不思議は起こらないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


December 08122013

 磐城の国の神さすらへる枯野かな

                           長谷川櫂

書に「楽浪(ささなみ)の国つ御神のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも・高市黒人(たけちのくろひと)」とあります。万葉集巻第一30番の歌で、水の都であった近江大津宮(おおみおおつのみやこ)が壬申の乱で荒廃した景を詠んでいます。掲句の磐城(いわき)の国は、かつては「黒ダイヤ、地の油」と呼ばれた炭鉱の町。げんざいは、福島第一原発事故地です。万葉びとは、土地そのものを神と見立て祠や社を建立して、周囲の自然と一体化する生活の中の信仰を生きていただろうと思われます。そのような土地に対する愛着は、現在も連綿と続いておりますが、核分裂という太陽エネルギーと同じ方法を生態系の中に設置してしまったことが原因で、それを制御する技術をもっていなかったわれわれの時代は、動物も植物も人も神々も枯野にさすらうばかりの状況を生きています。これから十万年の間この状況は変わりません。専門家の中には、原発のリスクを「何万分の一、何億分の一」という人もいます。しかし、79年スリーマイル島、86年チェルノブイリ、99年東海村JCO、2011年福島という事実を論拠とすれば、そのように言う専門家は、「神話」のシナリオライターだったということです。「さすらへる」のは人の弱さで、放射能は十万年間確固たる存在です。『震災句集』(2012)所収。(小笠原高志)


December 07122013

 朴落葉反り返りつつ火となれり

                           原 夏子

週間ほど前、久しぶりに朴落葉と遭遇。冬紅葉がまだあざやかな武蔵野の落葉径、ひときわ大きく反り返る朴落葉にどきりとさせられた。葉裏の色は散りたての銀色からだんだん石のように青ざめ、魚をも連想させる。しばらく佇んで見ていたものの、言葉は同じところをぐるぐるするばかりだったのだが、掲出句を見てあの時見た朴落葉が、冷たい色のまま最後の生気を失ってやがて枯色となってゆく様が見えるような気がした。実際は落葉を焚いているのだろう、その中でひときわよく燃えている朴落葉なのだ。すぐそう思ったが一瞬、よみがえった記憶の中の朴落葉に不思議な命の火の色が見えた気がしたのだった。『季寄せ 草木花 冬』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)




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