お年玉付年賀状。今度の一等賞は現金「一万円」。ご時世ですな。(哲




2013ソスN12ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 04122013

 ふるさと富士から順に眠りだす

                           丸谷才一

いていの日本人は富士山が好き。全国各地にあって地元の人たちに親しまれている山で、かたちが富士山に似て恰好いい山を「〇〇富士」と呼んでいる。たとえば北海道の羊蹄山を「蝦夷富士」と呼び、筑波山を「筑波富士」と呼ぶ。そんな「ふるさと富士」が全国に350以上もあるという。富士を模した人工の「富士塚」も各地に多い。富士山は広く愛されているだけでなく、信仰を集めている山でもある。冬の山のことを意味する季語「山眠る」があるけれど、掲句は冬の「ふるさと富士」を詠んでいる。冬の到来とともに北から順に「ふるさと富士」は、次々と冬化粧をして眠りに就く。じつは「〇〇富士」は日本国内ばかりに限っていなくて、台湾、インド、ロシアをはじめ世界各地にあるというから驚きである。掲句を含む才一句は、彼の全集の付録『八十八句』(2013/非売品)に収められた。他に「白魚にあはせて燗をぬるうせよ」もある。「今の作家が詠まないのはじつに淋しい。小説家諸氏よ、俳句を詠まれたし」と長谷川櫂は挑発している。売れっ子諸氏は、そんな暇がないのだろうか。いや、才能がないのだろうか?(八木忠栄)


December 03122013

 目閉づれば生家の間取り冬りんご

                           星野恒彦

から覚めてぼんやりしている時間に、ふと今居る場所がわからなくなることがある。目に入る情報でだんだんと現実をたぐり寄せるが、なぜかいつも幼い頃を過ごした実家の天井ではないことに不安を覚え、「ここはどこ?」と反応していることに気づく。人生の五分の一ほどしか占めていないはずの家の襖や天井の木目まで、今も克明に覚えているのは、そこが帰る場所ではなく、生きていく日々の全てを抱えていたところだったからだろう。元来秋の季語である林檎だが、貯蔵されたものは冬にも店頭に並ぶ。様々な果物の色があふれる秋ではなく、色彩のとぼしくなった冬のなかに置かれた鮮やかさに、作者の眼裏に焼き付いた生家がよみがえる。閉じられた目には、家族や友人の姿があの頃のままに描かれていることだろう。『寒晴』(2013)所収。(土肥あき子)


December 02122013

 おでん食う堅い仕事のひとらしい

                           火箱ひろ

こで作者の目は世間の目である。厳密に「堅い仕事」なんてものがあるわけはないが、世間の目は何でも値踏みをするから、仕事にも硬軟を言わないと気がすまない。そして値踏みの尺度は世の変化に応じて変化するために、今日の物差しが明日は無効になったりもする。おでん屋にはいろいろな人が出入りするので、世間の目の活動には好都合な場所である。それらの人々の好みや食べ方によって、「堅い仕事」の人かどうかなどは、たちまちにしてわかるような気がする。同じようなスーツにネクタイの人間だって、おでんを介在させると、違いが歴然としてくる。店内でちょっと気になった客が、どうやら「堅い仕事」の人らしいと作者は思っているわけだが、だからといってこの値踏みが作者に特段の何かをもたらすことなどはない。こんなことは、すぐに忘れてしまう。しかしながら私たちは、いつだってこの種の世間の目を忙しく働かせて生きていることだけは確かなのである。『火箱ひろ句集』(2013)所収。(清水哲男)




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