堤清二さん。経営者時代にはほとんど寝ずに書いておられたのではないか。(哲




2013ソスN11ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 29112013

 ぼんやりと晩秋蚕に燈しあり

                           波多野爽波

は、本来、春季であるが、晩夏から晩秋にかけて飼育されるものを「秋蚕」という。春と比べて、飼育日数も少ないが、繭の品質は劣るという。晩秋の蚕がぼんやりと照らされている。おそらく、裸電球であろう。照らされている蚕は、ただ、ひたすら桑の葉を食べているが、それを見つめている作者の意識は、朦朧と揺らぐような感覚の中へ誘われる。波多野爽波は、俳句において『農』のくらしを詠むことの重要性を、しばしば説いた。しかしながら、この句には、農のくらしへの親和感は微塵もうかがえない。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


November 28112013

 巻貝の渦ゆきわたる冬銀河

                           花谷和子

気が冴えてくると星の輝きにも寒々とした光が宿る。巻貝の渦とは螺旋状に巻く殻の形状を表しているのだろう。銀河系の星の渦を巻貝の殻のかたちと重ね合わせたことで、海辺に生息する巻貝から数知れぬ星々を巻く銀河系宇宙とへと想像が広がっていく。まさに極小の詩形である俳句が極大なものを表現することができる見本のような句だ。巻貝の殻を「渦」と捉えたところに冬銀河との隠喩が生まれるのだが、その類似をつなぐのに「ゆきわたる」という言葉を配したことがこの句に宇宙へと広がる躍動感を与えているように思う。『歌時計』(2013)所収。(三宅やよい)


November 27112013

 サンルーム花と光のさざめける

                           神保光太郎

句としてすぐれた出来ではないと思うけれど、詩人・神保光太郎の俳句は珍しい。しかも「サンルーム」を季語にした俳句を、私はこれまであまり見かけていない。サンルームと言わないまでも、寒気が強くなるとともに暖かい陽ざしが恋しくなってくる。そんな今日この頃。暑いときはあんなに日陰を選んで歩いていたのに、今は逆に誰しも日当りを求めて歩きたい。サンルームのなかでは、日ざしによって汗ばむほどになる。掲句の「花」はいったい何という花だろうか? シクラメンだろうか……季節の花なら何であってもかまわない。花と光があふれさざめいて、冬にはとても快適なスペースである。光太郎は若いときは短歌も作った。のち「日本浪漫派」の同人として活躍し、堀辰雄らの第二次「四季」にも参加した。今は光太郎をよく知らない人が増えているかもしれない。じつは私は大学時代に、神保教授のドイツ語の授業を受けたことがある。たいていベレー帽をかぶり、笑いを絶やさない先生だった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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