この二、三年で、配偶者を亡くした友人が数人。「いい夫婦の日』。(哲




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November 22112013

 リボンの娘手つなぎくるや崩れ簗

                           波多野爽波

ボンを結んだ娘が二人、手を繋ぎながらやってくる。どのような場所へ出てくるのかと思いきや、「崩れ簗(やな)」である。崩れ梁は、晩秋、漁期が過ぎて放置され、崩れ壊れた簗のこと。上五中七から「崩れ梁」への転換は、単に意外という領域を越えている。「春泥に押しあひながら来る娘 高野素十」という明るい句と比較してみても分かるが、下五「崩れ梁」の季語は、リボンの娘のイメージを崩れさせ、荒涼とした世界へと読み手を誘う。その詩的飛躍は、嗜虐趣味に近い気がする。『一筆』(1990)所収。(中岡毅雄)


November 21112013

 休日出勤冬木の枝の燦々と

                           押野 裕

さっては勤労感謝の日。「勤労を尊び感謝する日」が土曜日と重なっているけど、休日出勤の方もいるかもしれない。皆がのんびりしている休日に電車に乗るといつもは混んでいる時間帯も座れるぐらいすいている。向かいの窓からは冬木の梢が凛と輝いて見える。「休日出勤」と言っても平日に代休がある出勤と普段の仕事が片付かないで休日に出てやるのを余儀なくされるのではだいぶ事情が違う。後者の場合は、下手をすると休みなしで連続して仕事をしないといけないわけで、冬木の枝が輝くのを見ている心持も嬉しいとは言えないだろう。そう思うと「燦々」と輝く冬木と鬱屈した気持ちとの対比がより際立ってくるように思う。『雲の座』(2011)所収。(三宅やよい)


November 20112013

 ひれ酒や愚痴が自慢にかわるとき

                           岡田芳べえ

さが一段と厳しくなってきた。酒場では「アツカンもう一本!」といった注文が聞かれる時季。しかし、ほんとうは上等な酒は「ヌルカン」で飲むのがおいしいーーと私は信じて実行している。でも、酒場での「アツカン!」の声はいかにも寒さが吹っ飛ぶようで、場が盛りあがる。アツカンを飲むならば、ひれ酒の熱いやつをじっくりぐびりとやりたくなる。あぶったフグのひれのあの香ばしさ。誰がこんなおいしい飲み方を発明してくれたか!と飲むたびに、感謝の気持ちがわいてくる。気のおけない仲間と居酒屋でひれ酒をじっくりやりながら、口をついて出てくるのは景気のいい話題よりも、やっぱり愚痴が多いか。人によっては酔うほどに、いつの間にかそれが自慢話に変わっている、なんてことがある。自慢話はご免蒙りたいけれど、そういう手合いが結構いるんだなあ。「あいつのクセが始まった…」と持てあましながらも、知った仲間であればそれも愛嬌かもしれない。「俳句は自分の句を後になって読み返す楽しみがいちばん大きい。人さまの句はいくらいい句でもそれ以上のものではない」と芳べえは正直に記す。一理あるかもしれない。他に「かくれんぼだれも見つけに来ぬ師走」がある。「毬音」3号(2011)所収。(八木忠栄)




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