道路で派手に転んでしまった。生まれて始めて救急車のお世話に。(哲




2013ソスN11ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 20112013

 ひれ酒や愚痴が自慢にかわるとき

                           岡田芳べえ

さが一段と厳しくなってきた。酒場では「アツカンもう一本!」といった注文が聞かれる時季。しかし、ほんとうは上等な酒は「ヌルカン」で飲むのがおいしいーーと私は信じて実行している。でも、酒場での「アツカン!」の声はいかにも寒さが吹っ飛ぶようで、場が盛りあがる。アツカンを飲むならば、ひれ酒の熱いやつをじっくりぐびりとやりたくなる。あぶったフグのひれのあの香ばしさ。誰がこんなおいしい飲み方を発明してくれたか!と飲むたびに、感謝の気持ちがわいてくる。気のおけない仲間と居酒屋でひれ酒をじっくりやりながら、口をついて出てくるのは景気のいい話題よりも、やっぱり愚痴が多いか。人によっては酔うほどに、いつの間にかそれが自慢話に変わっている、なんてことがある。自慢話はご免蒙りたいけれど、そういう手合いが結構いるんだなあ。「あいつのクセが始まった…」と持てあましながらも、知った仲間であればそれも愛嬌かもしれない。「俳句は自分の句を後になって読み返す楽しみがいちばん大きい。人さまの句はいくらいい句でもそれ以上のものではない」と芳べえは正直に記す。一理あるかもしれない。他に「かくれんぼだれも見つけに来ぬ師走」がある。「毬音」3号(2011)所収。(八木忠栄)


November 19112013

 冬紅葉海の夕日の差すところ

                           本宮哲郎

上の冬紅葉と海に差し込む夕日までには大きな距離があり、そこを波濤がつないでいる。太陽が海に沈む景色は日本海のものであるから、おそらく荒々しい波だろう。それでこそ、冬紅葉の赤さが一層切なく、痛々しく映えるのだ。と、頭では分かっていても、どうも想像が追いつかない。太平洋側で生まれ育った身では太陽は海からのぼり、山へと沈むものだった。当初、夕日が赤々と染める海面の部位を紅葉と直喩されているのかと思った。おそらく穏やかな太平洋側の思考がそう思わせたのだ。きりきりと冷たい冬の日本海を実際に見たいと思いながら、寒さ嫌いゆえ今日まで体験していない。掲句のような寒さゆえに存在する美しさがほかにもたくさんあり、どれも見逃しているのだと思うと心から惜しい。重い腰をあげて今年こそ出かけてみようと思うのだ。『鯰』(2013)所収。(土肥あき子)


November 18112013

 かつてラララ科学の子たり青写真

                           小川軽舟

ずは「青写真」の定義を、Wikipediaから。「青写真(あおじゃしん、英: cyanotype)は、サイアノタイプ、日光写真ともいい、鉄塩の化学反応を利用した写真・複写技法で、光の明暗が青色の濃淡として写るためこう呼ばれる」。句では「日光写真」を指している。小春日和の午後などに「ラララ科学の子」である鉄腕アトムの種紙で遊んだ子どもの頃の回想だ。当時はそうした遊びに熱中していた自分を立派な「科学の子」だと思っていた。が、日光写真はたしかに科学的な現象を応用した遊びではあったけれども、その遊びを開発したわけじゃなし、とても「科学の子」であったとは言えないなと、微苦笑している図だろう。本格的な青写真はよく建築の設計図に利用されたから、敷延して「人生の青写真」などとも言われる。この句には、そんな意味合いもうっすらと籠められているのだと思う。往時茫々。『呼鈴』(2012)所収。(清水哲男)




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