最近ラジオ聴取はTBSがほとんど。NHKの若者媚び番組はひどい。(哲




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November 13112013

 この子らに未来はありや七五三

                           清水 昶

五三に限らないけれど、着飾ってうれしそうな子どもたちを見るにつけ、昶ならずとも「未来はあるか」という懸念が、身うちでモグモグしてしまうことが近年増えてきた。こちらがトシとって、未来の時間がどんどん減ってきていることと、おそらく関係しているのだと思う。それにしても、先行き想定しようのない嫌ァーな時代が仄見えている気がする。私などが子どもの頃、わが田舎では「七五三」といった結構な祝いの風習などなかった。いわんや「ハッピーバースデイ」なるものだって。だから、わが子の「七五三」や「ハッピーバースデイ」などといった祝い事では、むしろこちとら親のほうが何やら妙に照れくさかったし、落着かなかった。子どもに恵まれなかった昶の句として読むと、また深い感慨を覚えてしまう。もちろん「この子ら」の未来だけでなく、自分たち親の未来や人類の未来への思いを、昶は重ねていたはずである。掲句は、サイト「俳句航海日誌」の2010年11月15日に発表されている。亡くなる半年前のことである。亡くなる一週間前の句は「五月雨て昏れてゆくのか我が祖国」である。「子らの未来」や「我が祖国」などが、最後まで昶の頭を去ることはなかったかもしれない。『俳句航海日誌』(2013)所収。(八木忠栄)


November 12112013

 合はす手の小さくずれて七五三

                           今瀬一博

年の七五三は11月15日だが、休日の都合もあり前後二週間ほど、要は11月中を目安に各地のお宮は賑わうようだ。「七つ前は神のうち」といわれ、なんとか七歳まで無事でいてくれれば、ようやくひと安心とされた時代の行事であるが、今も子どもの成長を祝う節目となって続いている。七歳までの通過儀礼として女児が三歳、男児が五歳の祝いをするが、掲句の柏手も覚束ない姿はもっとも幼い三歳を思う。言われるがまま合わせる手のわずかにずれている様子さえ、ほほえましく、その成長が胸に迫る。とはいえ、大人たちの熱い視線をよそに、当人にとってはなにがなにやら分からぬままに、着飾り連れ回されているように思っていることだろう。自分の三歳のときはどうであったかと振り返ると当然覚えているはずはないが、アルバムにはっきりと残されている。振り袖のまま近所の公園のぶらんこに乗って、母親が慌てて駆け寄る姿である。『誤差』(2013)所収。(土肥あき子)


November 11112013

 大部分宇宙暗黒石蕗の花

                           矢島渚男

蕗の花は、よく日本旅館の庭の片隅などに咲いている。黄色い花だが、春の花々の黄色とは違って、沸き立つような色ではない。ひっそりとしたたたずまいで、見方によっては陰気な印象を覚える花だ。それでも旅館に植えられているのは、冬に咲くからだろう。この季節には他にこれというめぼしい花もないので、せめてもの「にぎやかし」にといった配慮が感じられる。そんな花だけれど、それは地球上のほんの欠片のような日本の、そのまた小さな庭などという狭い場所で眺めるからなのであって、大部分が暗黒世界である宇宙的視座からすれば、おのずから石蕗の花の評価も変わってくるはずだ。この句は、そういうことを言っているのだと思う。大暗黒の片隅の片隅に、ほのかに見えるか見えないかくらいの微小で地味な黄色い花も、とてもけなげに咲いているという印象に変化してくるだろう。『延年』(2002)所収。(清水哲男)




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